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2013年5月29日水曜日

【地方欄】子どもも大人も遊ぶ「あそびの学校」が楽しいです、ボランティアスタッフ募集





ぼくらのボロ家がある丹波市春日町大路地区では、原則毎月第2or第3土曜日「あそびの学校」を開催しております。


 

あそびの学校とは、大人も子どもも森の中で遊び、遊びながら色々なことを学ぶというとても楽しいイベントです。


4月から新体制でスタートした「あそびの学校」ですが、主催は「大路未来会議」です。


この大路未来会議とは、大路地区とその周辺に住む有志で結成された団体でぼくらボロ家住人や兄者夫婦といった都会から移住してきたIターンメンバーだけでなく、Uターンの方やずっと丹波で生活して来られた方なども含めみんなで持続可能で幸せなコミュニティーを作っていきたいですね〜と少しずつですが真剣に楽しく活動しております。



その活動の一つとして「あそびの学校」を開催しておりますが、これまで4月、5月と2回開催されておりますが、わたくしフジモトの感想を言わせていただきますと・・・





楽しい


これに尽きます。
 
来月の「あそびの学校」を楽しみにしている自分がいます。


なにが楽しいのかというと、下記の写真をご覧ください。





  

ぼくはですね、自然と子どもたちに囲まれるんですね。


子どもたちに膝の上に乗ってもらった経験がない方、これはですね、例えると、滝壺を目の前にし、マイナスイオンたっぷりの水しぶきを少しかぶりながら目をつむり、スーっと深呼吸をするような感覚に似ております。


癒しですね。



こんなかわいい子どもたちが毎回100人近く参加してくれます。

4月は食べられる野草を山や畑の周りで探し、天ぷらにして食べました。

5月はみんなで手首ほどの丸木をのこぎりで細く切り、名札を作って、大路未来会議特製野草「イタドリ」を使ったジャムをクラッカーに付けておやつとして食べました。


左のピンクトレーナーを着た女の子はぼくの姪っ子ななせ7歳

甥っ子そら5歳(左)と我がマリオ校長60歳(中央)

マリオ校長の山での注意事項などをしっかりと聴く子どもたちと保護者の皆さん

かわいい



子どもたちは本当にかわいいです。

でも2歳児〜小学6年生までの100人近くの生徒をしっかりと見守り、準備や後片付けなども含めて運営していくためのスタッフが少ないのです。(今ギリギリなのです)


子どもが好き、幼児保育や野外保育に興味がある、自然の中で遊びたい、丹波に遊びに行ってみたい、土曜日は暇している、そんな方がいらっしゃいましたらぜひボランティアスタッフとして参加いただきたいです。


以下は「運営ボランティアスタッフの生の声」でございます。






えりちゃん(写真左、ぼくらの大学フォークソング部の4個下の後輩)

「たっくさんの子供たちと遊べて楽しかったし、もぅとにかくみんなかわいかったです(*^◯^*)運営している人達からは森で子供達がのびのびと遊び、成長することの大切さを学びました!都会育ちの子供に田舎育ちの子供達が野草の見つけ方を教えている場面も実際にあったり、遊びの中でみんなで野草を見つけて、自分で取った野草を天ぷらにして食べるという流れが、子供達にとってお互い良い刺激や成長になる、とっても素敵な企画だと感じました^_^
そして丹波はとても素敵な所で子供も大人もみんなあったかかったです(*^_^*)


ふじもんさんはおもしろくて最高です♪( ´▽`)あと、お茶の話してる時はかっこいいです。



吉住(写真中央、フォークソング部2個下の後輩、丹波市内金融機関勤め)

「自然に夢中になる子供たちに元気をもらっていますね」



大和(写真右)

「意外と疲れる




ありちか(スケボーで大路こどもの森に向かう)

「森の中で遊ぶのは楽しい!1回目より2回目のが楽しめたし、次はどれだけ楽しめるかって感じですね。こども苦手やけどなんとかいけそうですね」





◇今後のあそびの学校スケジュール◇
6/15(土)9:00〜 基地づくり(仮テーマ
7/13(土)9:00〜 川遊び
8/10(土)時間未定  夜遊び


※もしスタッフとして参加したいという方がいましたら、土曜日は朝が早いので前日からボロ家にて宿泊いただくことも可能ですので、お気軽にフジモト(fujimotv@gmail.com)までご連絡ください。



ど田舎の水曜日,フジモトユウキ

2013年5月22日水曜日

【コラム欄】おい同居人よ、プロ野球はこんなにもおもろいんやぞ

mufufutimesをご愛読いただいている皆さんならご存知だと思いますが、ぼくは今丹波で後輩2人と一緒にシェアハウスをして暮らしている。

ひとりはご存知火曜日担当ツノダヤマト、もうひとりは何でも屋オオヤマアリチカ。

 ※ふたりの紹介記事はこちら↓

【地方欄】ボロ家シェアハウス生活が始まりました



彼ら二人との同居生活ももうすぐ2ヶ月となりますが、びっくりするほど問題なく助け合い、楽しく生活しております。

しかし、どうしても納得できない二人の価値観というのか、思考体系、パラダイムが存在し、私は遺憾にたえない。



それは、二人ともプロ野球に全く興味がないのだ



例えばこんなことがあった。

4/10阪神vs巨人2回戦。
この試合は12回0−0の引き分けという素晴らしい投手戦だった。
中でもベテラン福原があの強力打線に対し、全22球すべてストレートで勝負した。

最後は満塁になりながらもホームランバッター村田に対して、高めのストレートでセンターフライ!!

ぼくは感動した。
36歳のベテラン福原。故障で苦労したにも関わらずカムバックし、なんと昨年自己最速の153キロを記録した男福原。


しかもこの話には続きがあり、最後のバッターとなった村田が打席に入る前にキャッチャーの藤井がピッチャーマウンドに行き、福原となにやら相談していた。

きっとこんな話をしたのだろう。

藤井「村田やけど、どうする?」
福原「ストレートでいく」
藤井「スライダーは?
福原「ばれててもストレートでいきたい
藤井「わかった」


もう感動である。

なのに、横で観戦するヤマトもアリチカも無言&無表情なのだ・・・・・


同居ヤマト&アリチカにプロ野球の面白さ・良さを伝えたい。

そんな想いでぼくは今いっぱいである。



おい、プロ野球はこんなにもおもろいんやぞ

 
昨日はヤマトと朝から陽が沈む頃まで茶園で新茶を刈る準備として、丸一日草刈り・草引きをした。

大変暑い日だった。
ヤマトは頑張っていた。

15:30。暑さも我々の疲れもピークとなっていた。

ぼくはこの仕事でも先輩だ。ヤマトは慣れないのに頑張っている。

ヤマトに元気を与えたい・・・どうしたらいいのか・・・

願わくは併せてプロ野球の面白さ・良さ伝えたい・・・


気付くと、番茶を飲んで休むヤマトの目の前でプロ野球選手のモノマネクイズをし続けていた。


近鉄いてまえ打線タフィーローズのモノマネから始まり、





全盛期の日本ハム・田中幸雄、ロッテ・フランコ、





阪神でいうと、リフォーム片岡篤史




 人生右打ち和田豊(フジモト小学生時代の愛用下敷きは和田豊)





最後には、世界の王貞治と王に憧れて日本にやってきた大豊泰昭のそれぞれの一本足打法の違いも懇切丁寧に説明した。




大豊は左脇が若干開くのと、バットの角度が鋭い(王意識しすぎ)





渾身だった。



でもヤマトの心には響かなかったようだ。


しかし、大豊の、王に憧れて日本にやってきたにも関わらず、阪神在籍時代、野村監督に一本足打法の弱点についてボロカスに言われ、「一本足打法」から「すり足打法」に変更し試合に出ていたが、打法の変更は「一本足打法では試合で使ってもらえないため、試合に出るためのやむを得ない選択だった」という悲しい過去を話したら、ヤマトはこう漏らした。

「かっこいい」



まだ試合は始まったばかりだ。

がんばりたい。



ど田舎の水曜日,フジモトユウキ

2013年5月16日木曜日

【コラム欄】フジモト学生時代の野球部の思い出と髪型〜高校生時代〜

前回までの記事はこちら

【コラム欄】フジモト学生時代の野球部の思い出と髪型〜小学生時代〜

【コラム欄】フジモト学生時代の野球部の思い出と髪型〜中学生時代〜 

 

高校時代の髪型は坊主だった。
べつになにも面白いことはない。
何も考えず硬式野球部に入り、新しいグローブとバリカンを買った。

高校時代の野球部の思い出として印象に残っていることを書くことにする。


先輩ヤマサキさん


まず一つ目に思い出したこと、それはヤマサキさんのことだ。
ヤマサキさんはひとつ上の先輩でむちゃくちゃかっこよかったし、優しかったし、誕生日もぼくと一緒だった。嬉しかった。
ぼくのことをユウキと呼んでくれた。

ヤマサキさんの代の最後の夏の総体が始まる直前の時期の話だ。
セカンドだったハヤシさんが怪我をした。
たしか鼻を骨折したんじゃなかったかな。

当時ぼくは2年生でレギュラーじゃなかった。
でもハヤシさんが怪我をして、ぼくは守ったことのなかったセカンドでスタメンで出れることになった。

ヤマサキさんはショートのレギュラーだった。
セカンドとショートというのは、すごく連携が必要だし、いわば「コンビ」みたいなところがあった。

ヤマサキさんは最後の夏の総体前の少ない練習時間の中で色々なことを教えてくれた。

すごく楽しかった。幸せだった。ヤマサキさんはやっぱりかっこよかった。

迎えた最後の公式戦。相手は神港学園という甲子園常連校だった。
負けたら大好きなヤマサキさんたちの代の先輩は引退か・・・寂しいな、え、ほんとに終わり?といったことを考えながらガチガチになってセカンドの守備についた。

プレイボールのサイレンが鳴り響く。
ショートのヤマサキさんが大声で笑ってぼくに「エラーすんなよ!」と声をかけてくれた。
ガチガチだった身体がスッと軽くなった。

エースのワタヌキさんが投げたボールを相手バッターが打ち返し、ボテボテのショートゴロとなった。

「ショ、ショート!!(ヤマサキさん!!頼みますよ!!)」


ヤマサキさんは定位置から1、2歩前進し、ボールを掴んだ


・・・と思った瞬間、ファンブルした。(ボールがグローブから落ちた)


ノーアウト、ランナー一塁・・・・・


めちゃくちゃ面白かったので、それ以降固さがまったくなくなった。


なのでぼくはヤマサキさんに「楽に!」と声をかけた。 



後輩カズミチ



2つ目の思い出は後輩カズミチだ。

ぼくらの一つ下の代でカズミチという男がいた。
カズミチはとてもかわいらしい顔をしていて、細くて、そこまで身長も高いわけではなかった。

うちの野球部では入部したら初めに「ホームベース上から一人ずつ大声でレフト奥でくつろぐ諸先輩方に自己紹介する」 という恒例行事があった。

自己紹介の内容は自由。

ただし、ここに笑いが含まれているか、ここの一点を先輩は楽しむ。

野球部に入部したら誰もが通る道だ。

ただし、まだ右も左もわからない高校ライフがスタートしたばかりで、先輩がどんな人かもわからないこの時期に笑いの詰まった自己紹介をできるやつはそうはいない。

実際、ぼくもどんな感じでやったのか、まったく記憶にない。
きっとなにも面白くない自己紹介だっただろう。

そんな中、カズミチは大声で


「カズミチです!ポジションはサードです!好きな芸能人はマナカナのマナです!」


と言い放った。




どちらがマナでカナかは知らない



ぼくはこの自己紹介に感動したのを今でも憶えている。

※以降、フジモトは自己紹介で実際に何度かこのネタを無断使用している



ど田舎の水曜日,フジモトユウキ

2013年5月8日水曜日

【コラム欄】フジモト学生時代の野球部の思い出と髪型〜中学生時代〜

前回の記事はこちら

【コラム欄】フジモト学生時代の野球部の思い出と髪型〜小学生時代〜






中学生になった。
当然のように野球部に入ったがあまり記憶がない。
覚えていることは本当に漠然としたものばかりだ。
たとえば朝練が7時半からあったこと、グラウンドが帰り道にあったこと(通称:2グラ)、監督のヒロハタ(みんなそう呼んでた)がむちゃくちゃ怖かったこと・・・

 
一方、散髪はというと、自宅最寄床屋「ユーカリ」を卒業した。
なぜかというと、子供料金じゃなくなったからだ。
中学生になれば子供料金じゃなくなる、だから散髪屋を変える。
これは非常に理に通った話だ。


そして、ぼくは自宅最寄美容院「スマイル」に通うことになる。


スマイルはセンスのいい美容院だった。
きれいなお姉さんがたくさんいて迎えてくれるし、かっこいいお兄さんが髪を切ってくれた。

ぼくはスマイルに通い出してから髪の毛を出来るだけ立てるようにした。

小学生時代の憧れ・スラムダンクの仙道になりたかった。





憧れの仙道。

バスケ部には入らなかったけど、大好きな仙道の髪型だけは真似したかった。


幸運にもぼくは直毛だった。


だからワックスなどは付けなくても安易に仙道に近づくことが出来た。
きっとワックスなどを付ければヒロハタに怒られただろう。
でもぼくには必要なかった。

小学生時代通っていた「ユーカリ」のご夫婦も、髪を切ってくれるときに「髪の毛が固いね、それに量が多いね」といつも褒めてくれた。


ぼくは髪の毛を仙道と同じく天へ、天へと立てた。立て続けた。

湿気、風などを気にしたことはない。

ぼくの髪の毛はそんな気候の変化に左右されるようなそれではなかった。

本当に、雨の日も風の日も、四季がめぐりめぐっても立て続けた。




すると、もてた。




ぼくは中学生時代の野球部の思い出は本当に少ない。
覚えていない。




なぜか。




きっと女の子のことばかり考えていたからだろう。




白球より女の子を追いかけ続けた中学生時代


県大会優勝!などといった目標を立てずに髪の毛を立て続けた中学生時代



いま思い返すと、なかなかいい中学生時代だったかもしれない。


ぼくの中では合格だ。よく頑張ったと思う。


きっと「スマイル」に満ちた中学生活だったんじゃないかな。



《次週》
フジモト学生時代の野球部の思い出と髪型〜高校生時代〜



ど田舎の水曜日,フジモトユウキ 

2013年5月1日水曜日

【コラム欄】フジモト学生時代の野球部の思い出と髪型〜小学生時代〜

ぼくは小・中・高校時代、ずっと野球部に入っていた。

今週からは少し、その当時の思い出と髪型を振り返りたいと思う。


小学生時代



ぼくが通っていた小学校には少年野球部がなかったので、小学3年生のとき、隣の東山小学校の野球部か夢野小学校の野球部に入部させてもらおうと親父のユウジと一緒に見学に行った。

当時からぼくはすごく人見知りで、初めて会う人やグループ、特にこういった既存団体への見学などの行為が本当にダメで、行く前に吐きそうになっていたことはしっかりと憶えているし、今も単身でそういった行為をすることはとても苦手だ。


当時の髪型は、前髪が残った角刈りだった。


ユウジが前面に出てその2チームのコーチや監督と話してくれた。

どちらともすごく雰囲気のいいチームだったけれど、ぼくは2チームを見に行った瞬間に東山小学校の少年野球部に入ろうと決めていた。

理由はユニホームが青色でとてもかっこよかったから。


髪の毛はひと月に一度、必ず最寄りの散髪屋「ユーカリ」に通っていた。


東山少年野球部には無事に入部できた。

しかし別の小学校から通っていたということもあり、友人が一人もいず、顔見知りも一人もいなかったということもあり、人見知りはすごかったけれど、すぐにヨシノリというとても優しい同級生が友達になってくれたし、いじめられたけど優しかった先輩(名前忘れた)も家の近くに住んでいて帰りは一緒に帰ってくれたので、大丈夫だった。


通っていたユーカリはとても親切で優しい夫婦が営まれていて、毎回散髪が終われば色々なお菓子が詰められたビニール袋を手渡してくれた。散髪からの帰り道、いつも入っているプロ野球チップスを食べながら窓ガラスに映る自分の角刈りっぷりにため息をついた。次に日、学校に行くのがとても嫌だった。


東山少年野球部に入部し1年が経ったころには、同じ小学校から下の名前を呼び捨てにしたらむちゃくちゃ怒ったコウジ(以前の記事「【コラム欄】コウジとの思い出」参照)や多くの友人が越境して東山少年野球部に入部した。

小学6年生のときには越境組がチームの半分を占めるほどになった。

そしてぼくがキャプテン、ユウジが監督となり、チームは神戸市3位になった。


その頃、小学6年生となっても相変わらずユーカリに通い、角刈りにされていた。
当時のぼくにはまず「床屋を代える」という思考はなぜかなかった。
だが、ユーカリに行く曜日はちゃんと考えてから行った。
例えば3連休前の放課後。
こうすれば、いくら一分の狂いのない見事な角刈りになったとしても3日間の「慣れ」が生じる。
自分の顔ととげとげしい髪型が丸みを帯び、マッチしてゆく・・・
連休中にできるだけそうなり、休み明けに半笑いで「ふじもっちゃんおはよう!あ、髪の毛きった?(笑)」と話してくる同級生を一人でもなくしたいと願った。

しかし、実際には連休中に「慣れた」のは「ぼくの目」だけであり、休み明けには何人もの同級生に「あ、髪の毛きった?」と、いや見たらわかるやろ、というひどい質問をかけられ続けた。


小学6年生の時のある練習試合の日曜日、その日は監督だったユウジの誕生日だった。

ぼくは打席に入る前にふとそれを思い出した。ホームランを打ちたいと思った。

何球目か忘れたがスイングすると、ポンとフラフラ打球が舞い上がり、風に乗ってライトスタンドに入った。

小中高の野球人生でホームランを2本しか打ったことはないけど、ユウジの誕生日に打てて良かったと思う。


冬でもぼくは角刈りだった。
とても寒かったし、やはり恥ずかしかった。
横はいつも3ミリぐらい。トップもさほど変わらなかっただろう。
横からトップに向かう角度は90度。両サイドとも見事な直角であった。
ただし、前髪だけは2センチ〜3センチはあった。
いつも素晴らしいぼく仕様のきれいな角刈りが出来上がった。

恥ずかしかった。

でもとても親切で優しいユーカリのご夫婦を責める気持ちは全くなかった。
ただ、別に要望は伝えてもいいのではないかといつも思っていた。
そしてある時、一度だけ髪型の希望を伝えたことがある。

フジモト「すいません、少しだけ(トップを触りながら)長めにお願いできますか?」

奥さん 「わかりました」

言えた。ついに言えた。ご夫婦を傷つけることなく、角刈りは嫌だ、おしゃれボウズにしてくれと希望を伝えることができた。
ぼくは安堵して、いつもと同じようにスラムダンク30・31巻を手にし、鏡の前に座った。
スラムダンクのストーリーに感動し涙をこらえ読み終える頃、奥さんに「どうですか?」と声をかけられた。

鏡に目をやるとすこし長めの素晴らしい角刈りのぼくがいた。




《次週》
フジモト学生時代の野球部の思い出と髪型〜中学生時代〜




ど田舎の水曜日,フジモトユウキ

2013年4月24日水曜日

【地方欄】最近のフジモトの仕事(近況報告)

フジモトの働くお茶と炭の製造から販売までを行う徳寿園では今の時期が非常に忙しい。

というのも、基本的に春から秋にかけては無農薬・無化学肥料にてお茶をつくる。

茶園をぐっすりと休ませてあげる冬場は、今では作り手がわずかしかいない伝統ある茶道用の道具炭(菊炭)をつくっている。

今の時期はちょうど炭の仕事とお茶の仕事が重なる時期だ。

炭の仕事として、毎日山にスパイク付きの足袋を履き、チェーンソーをかついで山に入り、菊炭の原木となるクヌギを切り揃えに行くか、その原木を炭窯に一本ずつ並べるか、はたまた焼き上がった炭をまた炭窯から一本一本取り出すか・・・とにかく炭の仕事は本当に忙しい。(しかもかなりの肉体労働)




一方、茶の仕事はというと、丹波の新茶の時期(だいたい5月中旬から6月上旬にかけて)がどんどん近づいてきているため、茶園の整備として草刈り有機肥料の散布などを行っている。

また今年は先代(2代目)が3年前から栽培していた茶の木の苗と山に自生していた茶の木を自園に植え替えるなどの仕事を行っており、これまたかなりな肉体労働のため休憩時の茶や晩ごはんが最高に美味しいと感じる日々が続いている。

いつも疲弊し、「そろそろ休憩したいなぁ」と思いだした頃(だいたい15時ごろ)おばあちゃんが茶とお菓子、みかんなどを手に登場する。

わたくしフジモトはいつも思う。

「おばあ、最高なタイミングっす」


茶をすすりながら五月晴れの空を見上げ、こうも思う。

「ええ仕事やなぁ」

山奥の茶園に向かう途中の風景(2013年4月22日撮影)



ここは山々に囲まれ、キジがキャーキャー鳴き、車も滅多に通らない、通り過ぎるのは郵便配達の原付バイクかタヌキぐらいだ。

そんなところで汗を流し、僕にしかつくれない菊炭や、無農薬・無化学肥料で美味しいお茶をつくる。

そのための修行

この仕事でしっかりと食っていくためにも炭やお茶の良さを知ってもらうために自分たちで営業に出る。

今日もmuffツノダヤマトと一緒に4/26にグランドオープンする大阪北ヤードのグランドフロント大阪の内覧会(旬食マルシェ)に出店している。
※4月より月火水曜日はツノダヤマトも徳寿園で働いている

旬食マルシェとはぐるなびさんがグランドフロント大阪内のうめきた広場に新規オープンするショップ「旬食ラウンジ」の期間限定イベントとして開催されるマルシェだ。

徳寿園は4/26,27,28,29の4日間と、5/3,4,5,6の4日間に出店。
 
開催時間は10時〜16時まで。
 
 
ぜひ、ゴールデンウィーク、梅田周辺にお越しの際は
「イケメンファーマー・フジモトくん、ファイト!」

 と、一言添えてお立ち寄りください。

お待ちしております。


会場の伊勢丹側JR大阪駅コンコース階段降りてすぐのうめきた広場横(1階)



〜これまでのタンヴァでの仕事に関する記事はこちら〜

【地方欄:丹波】炭焼きという仕事

【地方欄:丹波】おじいちゃんの技

【地方欄:丹波】『働く』ということ


ど田舎の水曜日,フジモトユウキ

2013年4月17日水曜日

【阪神のひと】ぼくはコンラッドが好きだ

ぼくはコンラッドが好きだ


みなさんはコンラッドをご存知だろうか。




Yahoo!スポーツより
 

コンラッドとは今年から阪神タイガースにやってきた助っ人外国人だ。






彼と出会ったのは、4月9日の阪神巨人戦。

今シーズン初の甲子園での決戦は巨人を迎えての伝統の一戦だった。

これまでぼくの住むボロ家では、アンテナや配線の関係でテレビが映らなかった。

でも3月31日に引っ越して来たありちか(前回の記事で紹介)がこの伝統の一戦に間に合わせてくれた。


うわ、ほんまに西岡がいる!




うわ、鳥谷赤いな!



うわ、鑑真みたいな福留がいる!




今年の阪神はなんかすごいなあと感動しながら大声で声援を贈り、一人テレビを観る。

※ちなみに大和もありちかもまったくプロ野球に興味なし


そんなとき、ひとりの白人がぼくの目に飛び込んで来た!!!


コンラッドである。





見よ、この姿。

この21世紀の時代、進化し続ける現代野球において、真正面から反抗するように
バッティンググローブ(通称:バッテ)
リストバンド
ひじあて
を一切付けずにバッターボックスに入り、フルスイングする姿。
しかも一球ごとにバットに付けている松脂と地面の土でグリップを確かめる



 歴代のプロ野球選手で素手でバッターボックスに入り続けた選手はぼくの知っている範囲では

世界の本塁打王・王貞治



オレ流・落合博満 




ゴジラ・松井秀喜(星稜高校時代)





ミスタータイガース・掛布雅之







かっこいいバッター、名選手は素手


かつて落合博満は「手袋をつけたら感覚が鈍る」と言った。

その感覚こそバッターの誇りではないだろうか。



話を戻そう。

コンラッドだ。


現在4月16日試合終了時点で
46打数9安打
打率 1割9分6厘
H  R 0本
打点 0点
三振 15



コンラッド、まだまだこれからだ!!

ぼくはどんな時だって応援するよ

皆さん、ボロ家フジモト部屋でナイター中継を観ながらコンラッドを応援しよう!



マートン(奥)とのランチ特打を終え、観客からの拍手にお辞儀で応える阪神・コンラッド=宜野座村営野球場(撮影・岡田亮二)SANSPO.COMより


ど田舎の水曜日,フジモトユウキ






2013年4月10日水曜日

【地方欄】ボロ家シェアハウス生活が始まりました

わたくしフジモトがサラリーマンを辞め、丹波に引っ越して来たのは昨年(2012年)の1月。

大変寒い中、チャイ(愛犬)と火鉢で温まりながら生活していたのが懐かしいですね。


・・・月日は流れ、丹波での2度目の冬も無事に越し、桜咲く春がやってきました。
 

こちら丹波のボロ家(ぼくの住む大きな日本家屋の愛称)では3月31日より
3人+1匹でのシェアハウス生活が始まっております。


ですが、ぼくは一人の時間が非常に好きな男でして、別に休みの日などで特に予定がなければ、誰かと遊びに行きたいな〜なんぞは思えず、むしろ誰とも会わずにひとりチャイ(飲むほう)やカレーを作ったり、純喫茶で本を読む、はたまた何かを作る(今はボロ家の修繕、テーブル作り、テラス改装)なんかをしたい性分です。

そんなぼくがほぼ四六時中誰かと一緒に居ることになるシェアハウス生活をやっていけるのか・・・


非常に不安であります。


ですが、本日4月10日時点でシェアハウス生活11日目となりましたが、ほぼ問題なく、楽しく日々を過ごせております。

それは、同居人のみんなが性格的に合っているからなのか、それとも、まだ始まったばかりでみんな気を遣って生きているのか(そんな風には全く見えないが)、それはわかりませんが、とにかく毎日寝る前には「今日もいい一日だったな」と思い、自作のベットに潜るという日々を過ごせております。 


今日はそんなボロ家シェアハウスの同居人を紹介したいと思います。


※ちなみにボロ家の間取りにつきましては、昨日のツノダヤマトくんの記事をご確認ください。

昨日のツノダヤマトくんの記事はこちら ⇒ 【地方欄】ボロ家の間取り




ボロ家シェアハウスの同居人①ツノダヤマト



まずはこの人



muffひとり歩きの火曜日担当ツノダヤマト君ですね


彼はmufufutimesをご愛読いただいている皆さんならご存知の通り、去年のクリスマス前から千葉の河川敷でホームレス生活を始め、堂々と3ヶ月間やってきました。

今日でシェアハウス生活も11日目となりましたが、毎日毎食彼が料理を作ってくれます。

シェアハウスでは料理長として今後も頑張っていただきたいですね。



ボロ家シェアハウスの同居人②オオヤマアリチカ



彼はですね、ぼくの2つ下、ツノダヤマトの1つ下の男で、大学の部活の後輩です。

今年24歳、大学卒業したてのフレッシュマンです。(大学1年留年しているため)


彼はぼくを慕って丹波にやってきました。


ぼくを慕っているから神様も微笑み、3月に丹波で採用が決まり、こうしてシェアハウスにやってきたんですね。

彼はすごいところが多々ありまして、とにかくなにを頼んでも迅速に対応してくれます。

上記の写真をご覧ください。

彼はぼくが「阪神が見たい。西岡とか福留を見たい。」と嘆いていると、回線の壊れていたテレビをいとも簡単に直してくれました。

※実際は回線だけでなく、屋根に上りアンテナの向きも調整してくれたとのこと


他にも「朝にパンが食べたい」というと、翌朝にはホームベーカリーで「アールグレイ茶葉入りしっとりケーキ」を焼いて待っていてくれました。


そのほか、まだやってきて10日ほどしか経っていないにも関わらず、下記のような対応を迅速に、かつ美しく対応してくれております。



ありちかくんが丹波にやってきて約10日間でしてきた対応(今後すべて記載していく予定)



この二人がやってきて、わたくし、大変助かっております。

お茶と炭の仕事が終わり、帰ってくると、ヤマトくんがまずご飯を作ってくれる。

なにか不具合が起きると、ありちかくんに報告、するとほぼ次の日の晩には解消されている。

ぼくはチャイ(愛犬)と遊んでいればいいんですね。




いや〜、ぼくを慕ってやってきた二人にはこれからも本当に頑張っていただきたいですね。


ど田舎の水曜日,フジモトユウキ

2013年4月3日水曜日

【取材】muffツノダヤマトの寝床で一日ホームレス体験(後編)夜から翌朝


〜前回の記事〜

【取材】muffツノダヤマトの寝床で一日ホームレス体験(前編)朝から夕方




晩餐会が始まった


18時ごろ、大和の寝床横での晩餐会(七輪でなにもかも焼き上げる)が始まった。

大和はこの冬の3ヶ月間、河川敷でホームレスをしていたが、来客者は今回のぼくら以外ではなんと一人だけだったようで、かなり嬉しそうだった。

夕方から合流したヨシダジュン君とそれは嬉しそうにビールやワイン、ウイスキーなどを空けていく・・・








一方、ぼくは前日の夜にバスで丹波を出発し、翌朝6時前に冷えた新宿に到着、捨てられたので、もうこの時間になればはっきり言って眠たかった。


でも寝る場所は・・・
















ああ、あったかい布団よ、あったかい寝床よ




大和が言う

「ここ(七輪している場所)は寒いけど、あそこ(寝床)はほんまにあったかくて快適よ」






なにを言うているんや
なに意地をはってるんや
やせ我慢するな
ふざけるな




まじで眠たい
帰りたい




大和が言う

「え、てか、きみ、ホームレス体験しに来たんでしょ?てかまだ8時だけど・・・もう寝る気?」




そうだった。

ぼくは、一日ホームレス体験をしにきたんだった。

こいつ(ホームレス大和)はここで元気に3ヶ月も生活していたんだ・・・

しかも、なにも不満なさそうな様子で、むしろここが恋しいかのような話を酒を飲みながらしていた。

ホームレスし出してから5キロ太ったとも言っていた。



もしかしたら本当に快適なのかもしれない・・・



寝てみよう



寝てみた






・・・気がついたら朝だった






昨晩、漫画喫茶に泊まった大和が迎えに来てくれた


大和が言う

「どうだった?寝れた?」
 

ぼく

「ん・・・そうやなあ・・・まあまあ寝れたなあ」



大和

「こっちは寝れなかったよ。漫画喫茶では。やっぱり自分の寝床が一番だと気付いたよ。」





muffツノダヤマトの寝床で一日ホームレス体験をしてみて

 

結果



ぼくは大和の河川敷の寝床で9時間、目が覚めずに寝れた


熟睡、快眠だった




muffツノダヤマトの河川敷の寝床はすごかった







 
 


 ど田舎の水曜日,フジモトユウキ

2013年3月27日水曜日

【取材】muffツノダヤマトの寝床で一日ホームレス体験(前編)朝から夕方

2013年3月22日(金)午前5:55

篠山口駅から乗車した夜行バスは新宿に到着。

意識モウロウとする中、キャリーバックと重いリュックサックともにぼくは大都会に捨てられた。


その朝は非常に寒かった。

アゴをガクガクさせながらキャリーバックを引き、逃げ込むようにマクドナルドへ入った。

ホットティーを飲みながら、かじかむ手でパソコンを開く。

そして頭によぎる。


「ああ・・・そうだ・・・今日の夜は大和の寝床で寝るんだった」



facebookで丹波の知人の方に「東京は桜ですね」と教えてもらった。



ぼくはこの日、満開の桜が咲く千葉の河川敷で一日ホームレス体験をした。





muffツノダヤマトの寝床で一日ホームレス体験(前編)


大和と合流




夕方、muffツノダヤマト(以下、大和)から連絡が入った。


「上野公園の桜が満開だよ。花見して行こうよ。」


確かに満開だった。

「なんで?時期早くない?」と一人つぶやきながら大和を探す。



上野公園は満開の桜の見物人でごった返していた。

ぞろぞろ、ぞろぞろ、ぞろぞろ

キャリーバックで何人の足を踏んだかはぼくにはわからない。



交番前で大和と無事に合流。

400円の値段も辛口なスーパードライ(350ml缶)を一本ずつ買った。

桜と無数の見物人をぼ〜っと見ていたら、一人のフィリピン人のおばちゃんに記念写真を頼まれ、大和が撮ると、「ジャア、貴方達モ」とぼくらも撮ってくれた。






実に疲れた。

ぼくは花見をちゃんとしたことがない。

でも花見に憧れる気持ちはあるし、しっかりとやってみたい。

おそらくきっと花見自体がくだらないわけではないだろう。



この日、ぼくがしたのは花見ではなかった。

「花見をする見物人見」だった。



いざ、寝床へ



16時。上野駅から大和の寝床のある南流山駅へ向かう。

途中、電車の中から大きなスカイツリーが見えた。

フジモト「お、スカイツリーやん」

大和「あれねえ」

フジモト「センスないなあ」

大和「そだね、あれならうちからも見えるよ」

フジモト「うち?」

大和「ああ、河川敷から」



南流山駅で大和が約2年の東京生活でできた数少ない貴重な友人のひとり、

ヨシダジュン君と合流した。


一日ホームレス体験の晩餐は、河川敷での七輪を囲んだものらしい。

適当にスーパーで買い物をし、ついに「大和の寝床=ぼくの今日の寝床」へ向かう。







夕暮れの河川敷






着いた

ここが玄関らしい。






急斜面を慣れた様子で降りて行く住人






寝床前の川






寝床から七輪を持って出てきた






庭(寝床の横にある芝生)で晩餐が始まる






寝床と住人








次週、muffツノダヤマトの寝床で一日ホームレス体験(後編)

「夕方から翌朝」

乞うご期待!


ど田舎の水曜日,フジモトユウキ