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2012年9月24日月曜日

【斉藤欄】上半期の台風(斉藤洋介)を振り返ってみましょう。




もうそろそろ台風(斉藤洋介)のシーズンが到来します。


先日、非常に大型で強い台風16号が沖縄本島付近を通過。
死傷者を出す程の甚大な被害となりました。


日本は言わずもがな台風国家と呼ばれ
毎年台風による被害に悩まされています。
秋は特に日本の本土に上陸する台風が増える季節として
毎年警戒が呼びかけられています。


そこで今回は今年の
主に日本へ猛威を振るった台風(斉藤洋介)を進路図で
振り返ってみようと思います。




台風4号


亜細亜名:グチョル(斉藤洋介)
期間:6月12日~20日
最大風速/最低気圧:100kts, 930hPa
概要:6月19日夕刻に紀伊半島(和歌山県)に上陸、北東進して翌日太平洋に抜け、温帯低気圧に変わった。








台風5号 



亜細亜名:タリム(斉藤洋介)
期間:6月17日~21日
最大風速/最低気圧:50kts, 985hPa
概要:熱帯低気圧に変わった後同日に梅雨前線に吸収され、消滅。









台風12号



亜細亜名:キロギー(斉藤洋介)
期間:8月8日~11日
最大風速/最低気圧:50kts, 990hPa
概要:気象庁では上陸後いったん温帯低気圧とし、再度台風とした。








もうすぐ秋本番。台風には充分な警戒を。




これから秋にかけて、日本付近に大型で強い台風が発生する恐れがあります。
暴風や高波、大雨や高潮による低い土地の浸水、それに土砂災害などに警戒するよう
読者のみなさまにはより一層の注意並びに対策をおねがいいたします。




秋の台風(斉藤洋介)は夏より凶暴となることが予想されます。



提案の月曜日、カナザワケント

2012年9月21日金曜日

【来客は金曜日】病院の隠れ人気イベント、内覧会


*画像は医療機器のイメージ画像です。


初めまして。


先日大学時代の部活の後輩である金澤君からオファーを頂いたので、
今回僭越ながらゲストライターを勤めさせていただきます
松本浩平(マツモトコウヘイ)と申します。


今は医療機器の商社に勤めています。
仕事内容を簡単に説明させていただきますと
全国の500床以上の大きな病院の立替えのお手伝いしております。
昨年までは神戸の病院で仕事してたのですが、無事開院したので今は静岡県の病院をお手伝いさせていただいております。
普段は皆さんもあまり病院に行くことは無いかと思いますので
あまり知られていない医療の事に関して書かせていただきます。よろしく御願い致します。




病院の隠れ人気イベント


実はあまり知られていませんが、新しく病院が出来る際には開院直前に市民の方や希望者、病院のスタッフさん向けの内覧会と呼ばれる病院見学イベントります。
そのイベントの際に、病院内の案内や機械の説明等を担当させていただいたですが、
今回はその内覧会の様子やその際に参加者の方から実際にいただいた質問を紹介させていただく形で医療の事を少しでも知っていただければと思います。




内覧会って参加者何人くらいくるの?


病院にも寄りますが前回私が担当していた病院では2週間くらいで市民の方だけで2000人の方に参加していただきました。私も案内人に選ばれた時は「誰がこんなイベント来るの?仮に万が一参加者がいたとしてもまあ50人くらいだろ。」と多寡を括っていたのですが、意外と参加者が多いです。参加者の半分くらいはそう遠くない未来のお客さんおじいちゃんおばあちゃんです。皆さん最新の設備を見て「これなら何かあっても安心じゃわい」といった声をたくさん寄せていただけるのは病院を造った側の人間にとって大変嬉しいことなのですが、実際は「何か」がない事が御家族の方は一番安心ですので気を抜かずにこれからも元気でいてもらいたいと切に祈ります。




この病院の手術室は外側から教授が見学する窓や観覧席が無いのですか?


この質問は40代前後くらいのお姉さま方を案内中にわりとありました。この質問をされる方ほぼ確実に「ここの病院は~」とつけて質問されるのですが、私はそういった設備がある病院をドラマ以外で見たことが無いので、きっと質問者の皆さんも同じドラマを見ていたのでしょう。親近感が沸きますね。実際は手術室に窓があると結露する、埃が溜まるといった衛生上の理由があるので、日本ではほとんどの病院がそういった設備はありません。(稀にあるところもあるらしいです)








手術中にドクターの汗を拭いてくれる人は本当にいるのですか?


結論からいうと今の時代そんな人はいません。皆さんの御家庭でもこの季節は活躍していることかと思いますが、当然手術室内にエアコンが付いています。当時はそういった職種の方もいたかも知れませんが、エアコンが手術室に設置されるようになってからは、廃業をやむなくされたと考えられます。




太ったふくよかな体型の医者や看護師さんは救急部と手術部などの部門には向かないのですか?


実際は全く逆です。普段から当たり前のように人の生死と隣り合わせにある部門。その中でどんなことがあってもお腹いっぱいご飯を食べることが出来るその胆力こそが冷静な判断に繋がります。いうなれば歴戦の覇者です。もし、あなたが救急車で運ばれ、手術室に搬送される時、薄れゆく視界の中でふくよかな医者や看護師さんを見ることが出来れば、あなたの手術の成功はもう約束されたといっても過言ではない…のかも知れませんね。




新しい手術室は全部屋監視カメラがついてて手術の映像を録画できるのですね


これは看護師の方からいただいた質問です。以下看護師との会話
「新しい手術室は全部屋監視カメラがついてて手術の映像を録画できるんですね~」
「そうなんですよ。もし医療ミスで訴訟になってしまった場合でも、この映像があればスタッフの方を守ってくれる場合があるのでそういった意味でも最近はほとんどの病院でつけてますね~」
「それは安心ですね~。でも困る場合もありますね~」
「どんな場合ですか?」
「こないだ手術中に先生怒って途中で帰っちゃったんですよ~」
「は?」
「そんな映像残っちゃったら洒落にならないですよね~あはは」
「あはは…」
「ほんと笑っちゃいますよね~。うちの看護部の中でもいまじゃ笑い話ですよ」
「…」


いや、全っ然笑えないから
ていうかそれ本当にあった怖い話のカテゴリだから!!
などといろいろツッコミどころ満載の話ですが筆者は怖くてその後患者さんがどうなったか聞くことが出来ませんでした。まあいろいろありますよね。



とまあ実際に私が体験した話をベースに今回だらだらと書かせていただきました。少しでも医療の事に興味を持っていただけた方がおられればこれ幸いです。病院は毎日が生死のかかった命がけの現場。そこは患者医者を始め、誰もが生きるということに対して全力な場所。その場にいる人全員が持てる力を最大限に発揮できる場所を提供することが私の仕事です。仕事量が半端じゃないからおススメは出来ないけど面白い職場です。最後まで読んでいただいた皆様に感謝。



来客は金曜日,マツモトコウヘイ

2012年9月20日木曜日

【エッセイ欄】男3人、18歳、鈍行列車の旅

僕は18歳の時に友人2人と青春18きっぷで旅をした。
3日間の旅だったが、とにかく遠くまで行きたいという気持ち一心で地元神戸を離れた。

男3人、18歳、鈍行列車の旅



行程は恐らくこうであった。


一日目は
神戸→敦賀→金沢→直江津→長岡→新潟

二日目は
新潟→会津若松→郡山→黒磯→宇都宮→上野→東京

三日目は
東京→熱海→静岡→浜松→名古屋→米原→京都→神戸


とにかく移動が全て電車(鈍行列車)であったため、お尻が痛くてたまらなかった。


一日目、僕らは7時16分に敦賀行きの新快速に乗って神戸を発った。
春休み中であったせいか予想以上に人が多かった。
暖冬の影響か、はたまた行った時期が3月上旬であったからか新潟でさえ雪が全く見られなかった。


田舎の方の列車は一時間に一本ペース、下車するときは自分で扉を開けなくてはならないのだ。
福井に住んで早一年。今では当たり前のことが当時は新鮮であった。新鮮なのはいつも最初だけだ。
見たことのない街、路地、駅、人々。それが非日常を形にし、なんともいえない味を醸し出す。


男3人で長時間電車に揺られていたわけだが、会話は常に恋話であった。
高校を卒業し、浪人を経て無事に大学入学が決まり、未来が光で満ち溢れているはずなのに、僕らはせつない恋の話をし続けた。
雪のない新潟で、ボロボロの格安ビジネスホテルに帰ってからもそれは続いた。
同じ高校で同じ部活でお互いの恋愛事情は熟知しあっていた。話はとにかく弾んだ。


二日目、快速で新潟から会津若松に向かう途中、さすがに内陸となると雪景色もいくらか視界に入った。
しかしそれは僕らが期待していたものとは程遠いものだった。
凍てつく冬の寒さは無く、遠慮がちな雪が最後の力を振り絞って春の太陽と戦っていた。
僕は列車に揺られて眠りについていた友人2人を尻目に、一人窓の外を見続けていた。


昨日の出来事さえも僕の頭の中で思い出となっていることが、無性に悲しく思ったことを今でも覚えている。
次々に僕らは未来を消費して過去を排出しているのだ。そう考えると今、この瞬間を生きるということに甚だ緊張を覚える。
時間は限られているのだ。その限られた中で僕らは精一杯生きていかなければならない。
なんてことを考えながら車窓を満喫していた。


列車がゆっくりと会津若松に近づき、車内アナウンスが入った頃、友人2人はほぼ同刻に目を覚ました。
僕は手前味噌ながらも1人、大人に近づいた気がしていた。


東京で夜を越し、次の日、神戸に戻った。
恐らく、僕ら3人は神戸駅に戻ってJRを降りる時、本当の意味で高校時代という青春を卒業した。
別々の地域の大学に行く3人。今思うとそんな気がする。
僕は会津若松に向かう途中で、他の2人もきっとどこかで何かに気付いたに違いない。
あの日から僕は高校時代の淡い甘酸っぱい感情を抱けていない。


それを成長と呼ぶなら哀しいことだ
でも僕はいつでも思い出せる。あの時の仲間がいれば。


ノムラカズユキ, 不安定な木曜日