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2012年6月21日木曜日

【番外編:福井】穏やかな雨、濁った雲、美しい朝

僕が福井に来て、今日で326日目になる。
まる1年が経ったわけでもないし、住民票を移したわけでもない。
それでも最近、福井県民に一歩近づいた気がしている。

住めば都。ただ単にそういうことなのだろう。
僕は本当に「福井」という地域が気に入っている。
「福井」に住んでいる人が気に入っている。


大切なのは、感じることと、馳せること





【番外編:福井】穏やかな雨、濁った雲、美しい朝







穏やかな雨―


社会人の僕はやはり毎晩のように酒を飲む生活が続いている。
先輩と飲み、同期と飲み、福井女子と飲み、一人で飲む。
大好きなビール、そして美味しい福井の地酒。
酒を飲むほど全てがましになってくる。

角張ったものは丸みを帯びる。
凝り固まったものは骨格を無くし、よろけ始める。

酔いが回るほど、実は自分の感情を客観的に見つめられる。
気分が良くなってくると無性に風を浴びたくなる。

福井の夜風は少しだけ肌寒く、そして生ぬるい。
僕を取り巻く現実も、少しだけ肌寒く、そして生ぬるい。

外は、穏やかな雨。





濁った雲ー

日本海側の気候の特性。
例の通り福井も雲が多く、どんよりした日々が多い。

僕の仕事場のデスクからは雲があまり見えない。
幸か不幸か最近、担務が変更になったこともあり、主に内勤になった。
外に出ることは無く、クリアすぎる液晶画面と大半の時間を共にしている。

社内の気温は節電の関係で28度。
体感ベースでは30度を超えている。
感じるのはキーボードを叩く音と、やる気のない空調の音。
世界と隔離された空間で、無力な数字だけが目に映る。

誰にも見られていない、濁った雲。
僕もふと雲に思いを馳せる。

濁ってるのは、どっちの世界だ。
いったいどっち側なんだ。

今日も見上げれば、濁った雲。





美しい朝ー

だいたいの朝は美しい。
自然の強さを感じ、生命の儚さを垣間見れる。

福井の朝は、ひょうひょうとしている。
福井駅周辺は人が多いが、それでも都市圏に比べるとその比ではない。

それでも朝は独特で、人々の表情には微塵ながらも緊張感が漂う。
濁った雲の下、小雨交じりの朝。
傘をさすか、ささないか、その微妙な一線を福井県民もまた感覚で超えてゆく。

その感覚は的確で寸分の狂いもない。
We LOVE Fukui.

今朝もまた、美しい朝。




【次回】
今週は番外編でお送りしました。
次回はいよいよ(?)福井駅周辺エリアと大和田エリアの決着がつきます。(つけます)
心も天気も不安定、muffのノムラでした。



不安定な木曜日,ノムラカズユキ

2012年6月20日水曜日

【地方欄:丹波】「出会いはふとした瞬間」


 今日もありがとうございます、muffの藤本です。
mufufutimesど田舎の水曜日、3回目参りました。

 台風大丈夫っすか?
 
さて、毎回かかさずご覧いただいている方はいったい何人いらっしゃるのでしょうか?

「毎回見てるよ。」「mufufutimes楽しみ」「水曜日が一番サイコー」

こんな言葉をくれた方には、もれなく直接電話差し上げようかなと思うのですが、どうでしょうかね?

それでは、「地方欄:丹波」をご覧くださいませ。


【地方欄:丹波】「出会いはふとした瞬間」 


「♪出会いはふとした瞬間  新茶を刈り取っていたら  グレーのヘビ出てきたね  太いのなんなの」

ご存知、ZONEの『secret base~君がくれたもの~』のAメロに合わせてつい歌っちゃいましたね。

そう、この歌詞のとおり、

「♪新茶を刈り取っていたら~  グレーのヘビ出てきた」んです。

よく見たら、グレーのヘビ、わき腹付近にヘンな模様有り。
一緒に新茶を刈っていた社長の目の色が変わる・・・


ま、ま、ま、マムシ・・・・・

ぼく、初めて見ましたね、マムシ。
社長に「マムシと普通のヘビの違いってなんっすか?」と気軽に尋ねる。

社長、目の色が変わったまま答えず。

近くにいたおじいちゃんが答える。
「マムシとヘビの違いこ?(丹波弁)噛むか噛まんかじゃ。マムシに噛まれたら1週間入院」

ぼく:「・・・・・(絶句)」

そうしている間に、マムシは茶木の下に消えて行った。

社長が言う。
「マムシはほんまに危ないんや。だから足袋か長靴履いとかなあかんじょ。(丹波弁)」

ぼくはまだよくわかっていなかった。あんなグレーのヘビ、マムシっていうほど危険なのか・・・


 マムシさん再登場


朝9時から約3時間かけて茶を刈り取った。この日は夏日でとても暑かった。

社長が叫んだ。
「またさっきのマムシや!」

刈り取った茶がたくさん入った袋を軽トラに積むため、集めている時に、先ほどマムシが出てきた同じ場所から「あらよく会いますね」と近所の奥さん同士の会話のようにマムシさん再登場。
社長がマムシと格闘しているところを約30メートル離れたところからぼくはじっと見ていた。

社長、なぜか、準備周到、右手に「鎌」を持っている。

社長とマムシ、お互いに田んぼのほうに歩み寄る。

社長の振り下ろした鎌は、マムシをちょうど半分に切った。

おじいちゃん歩み寄る。
「確かにこれはマムシや」と我々に伝え、半分になったマムシを持ってどこかに歩いて行った。

社長、すべての根気を使い果たしたかのようになる。

ここでおばあちゃん、アイスクリームとはっさく、黒糖を持って登場。

昔マムシを生け捕りにし、売りに行った話や、近くに住むばあちゃんがマムシに噛まれてそれは大変だった話等を独壇場で約10分間話し続ける。

おじいちゃん、帰ってくる。

おじいちゃんの手には、皮と内臓等がキレイに取り除かれたマムシ。

白身魚のような身、そう、フグの一夜干しのように真っ白な身をしていた。

「なんでかのう、こいつ、山椒のような匂いする。手ぇ匂え」
そう言ってフグの一夜干しを持ちながらぼくの顔へ近づけてきた。

「はっへふっ!」

変な声を出してのけぞってしまった。

正気を取り戻しつつあった社長が嬉しそうに笑みをこぼしながら
 
「これ(フグの一夜干しマムシ)を干してなあ、粉にしてなあ、耳掻き一杯分ぐらいを飲むとなあ、よる寝れんぞ」 

 干して、粉にして、耳掻き一杯分・・・・
実に楽しみである。

実に楽しみである。 

実に楽しみである。


それではまた来週、お会いしましょう。


※マムシの写真は、かなりなグロテスク画像でしたので掲載しておりません。
※また、私の水没したアイフォンの調子が非常に悪いため、フグの一夜干しのような
   マムシの姿さえも掲載できませんでした。申し訳ございません。



ど田舎の水曜日,フジモトユウキ
 

2012年6月19日火曜日

【特集】細菌の話 第3話「腐っても発酵」



腐っても発酵


突然ですが、腐敗と発酵の違いをご存知でしょうか。

腐敗はなんか臭そうで虫が寄ってきてグチャグチャなイメージ、

発酵はなんとなく体に良さそう、といった感じでしょうか。


実は、起きていることは腐敗も発酵も全く一緒なんですね。


両方とも現象としては

微生物が生きていく上で、食ったり排泄したりして物質を分解、変化させ違う物質を作り出すこと

なのですが、


その作用が人間にとって有益であれば、発酵
無益であれば腐敗、と、こうなるわけなんですね。



発酵の定義について、小泉武夫著「発酵 −ミクロの巨人たちの神秘−」(中公新書)の中の一節にはこうあります。

筆者なりに定義するところでは、(中略)私たちの生活の身近にみられるアルコール発酵や乳酸発酵といった一般的な発酵のみならず、その領域を超えて、人間をとりまく環境浄化という重要な自然界の微生物活動もまた発酵の分野に入れることにした。この定義からすると、たとえば自然界の莫大な量の動植物遺体の微生物による消化も「環境浄化発酵」であり、また汚泥や淀みなどでメタン菌がさかんにメタンガスをブクブクと吹きあげているのも立派な「メタン発酵」である(以下略)


広義でみれば腐敗もまた発酵であり、自然界にとってみれば無益なものなどなにもない、そういうことなんですね

つまり、

惰眠をむさぼり、朝まで酒をかっくらい泥酔、夕方目を覚ましてはまた酒を喰らい音楽にうちのめされ映画にのめりこんでは陶酔する世の中でいうところの堕落した学生それもまた


発酵


そうなんです、アレは、せっせと時間と金を浪費しているのかと思いきや発酵していたんですね。

世間ではまだまだ誤解されている方が多いようですが、アレは、発酵です。

もう一度いいますが、アレは、発酵です


なぜならこの世に無益なものなどなにもないのですから…



発酵食品の狂気


腐りきった大学生が云々、という話になってしまいましたが、
発酵食品の世界はそんな甘っちょろいものではなく、狂気に満ち満ちています

日本食は発酵食品の宝庫で、味噌や醤油もそうですが、すぐ頭に思い浮かべるのは納豆でしょう。

イメージとして「臭い」というのが挙げられるかと思います。

そこで今回は世界の発酵食品を2つほど紹介したいと思います。


まずはお隣、韓国の発酵食品「ホンオフェ

発酵させればさせるほど身が柔らかくなり、美味。らしい

エイを壷かなにかに入れて10日ほど放置、というエイさえ手に入れば誰でもできる、簡単ずぼらレシピです。

エイの持つ尿素が分解され強力な臭いを放つとされています。

聞くところによると、本場韓国の人間も、ホンオフェ単体ではまず食べることはできず(臭すぎて)、キムチや豚肉と一緒にサンチュに巻いて口にいれ、マッコリで流し込むのが正しい食べ方とのこと。

口に入れ、流し込む…

臭いで呑む、といったところなのだと思うのですが、阿呆ですね。

しかも韓国ではこれが高級食材であり冠婚葬祭時に食される特別な食べ物というのだから不思議です。

また、口の中に長くいれておくと、アンモニアが作用し口がただれるというのだから狂っていますね。それは流し込むしかないなと思います。



そして、イヌイット、エスキモーなどの民族が生んだ発酵食品「キビヤック

キツネなどに食べられないように上に石を置いて2ヶ月から数年間放置・熟成

これは本当に理解し難いことが多いのですが、

アザラシの内蔵を抜き、その中に海鳥を詰め込んで土に埋める

というなにがそうさせたのか全くわからないことが起きています。


宇宙人がやってきて、寒さで頭のおかしくなったイヌイットをからかったと考えるほうが自然です。
 
「おい、アレいるだろ?アレをアレのお腹の中に入れて、そうだな、埋めてみろよ!食べれるようになるから」


そうです、宇宙人は「アザラシ」も「海鳥」も知らなかったはずです。
それなのにイヌイットは真面目だったので、「ありがとうございます!助かります!」などといって実際にやってしまったのでしょう。


そう考えるのが、自然です。



そして驚くべきはその食べ方。いったいなにをどう食べるの?という話です。



海鳥の肛門から発酵した内蔵をすすり、肉も皮を引き裂きながらそのまま食し、頭蓋骨を割り脳みそもいただく














え?













え?まじで?





狂ってますね。

完全に狂ってます。

宇宙人の笑いのセンスに脱帽です。

いや、もしかしたら宇宙人もここまでするとは思ってなかったかもしれません。

「さすがに引くわ……地球人ちょっと危ないわ……」

そう言って地球に来なくなってしまったのかも、しれませんね。


『宇宙人もドン引き発酵食品 キビヤック』


もちろん日本人の私もドン引きです。




それでは次回、細菌の話 最終話「菌ってなんなんだよ」
よろしくお願いいたします。



 ひとり歩きの火曜日,ツノダヤマト

2012年6月18日月曜日

【コラム欄】ダジャレにも決まりごとをつくろうという提案



カナーケンは怒っている


先日、とある関西ローカル局の朝の情報番組をボーっと観ていた。
やっていた企画は日本に住むおもしろい外国人を紹介するという企画。
この日紹介されていたのは恐らくポーランドかどっかの北欧の方
京都の平屋を改築して住み
茶道の先生を職業とするほどの日本通だとの触れ込みであった。
日本人よりも日本の文化に詳しく、柔和で、かつ礼儀の作法を重んじ生きるその姿勢
滑稽さは全く無く、日本に生きる者として
身の引き締まる思いをさせられるほど
素晴らしい人物であったことを記憶している。



その人が今最もハマっているもの。



それは「ダジャレ」



ということで、当然番組スタッフは
「ダジャレのひとつでも言ってもらおう」
とまぁ、そうなるわけである。
事実、日本好きの外国の方にダジャレ好きは多い(気がする。)


「これでダジャレを言ってください。」
スタッフから茶道の先生に手渡されたのは風鈴


「正直風鈴でダジャレを言うのは日本人でも難しいだろ、いや、コレほどの方なら、きっと素晴らしいダジャレを授けてくださるに違いない」



筆者がそう思いを巡らせる中
しばらく考えた後、茶道の先生はとてつもないドヤ顔で突拍子もなくこう言い放った。





「ふうりん雷神。」




















































「?????」




















































「何が茶道だ、何がWABISABIだよ、就労ビザ停止しちゃえ。


と、暴論ながら筆者はこう思ってしまった次第だ。


だって、




風神雷神の話なんて一切出て来なかったし。


絵とかグッズとか何にも家には飾って無かったし。



そりゃ、日本語が完璧ではない外国の方にそこまで迫るのはおかしな話だし
日本文化が好きで風鈴を手渡され、風神雷神とすぐ出てくることにさらなる
感心を覚えなくてはいけないことは百も承知なのだが・・・。


違う違う。



筆者が怒りを覚えたのは茶道の先生にではあらず。


言い放たれたダジャレそのもののルールの無さに対してなのであった。


そもそもなぜ怒りを覚えたのか


例えばこの茶道の先生が
風鈴でスタッフに殴りかかる真似をした後に
「風鈴ガン(フーリガン)」
とか言ったのならまだ納得できる。


行動が伴っているからだ。


もしくは
「いやー、わたしね、めっちゃくちゃビール好きやおまんねんけども、ど~も最近つまさきが痛ーて痛ぁて。どないしたんやしかし、思てましたんや。そんならもーしゃーないから病院行きましたんや、この前。ほんなら医者の先生、何て言うたぁ思います?『痛風』やって。控えなあかんなぁ風鈴体(プリン体)ちり~ん」
とかでもまだ納得できる(腹は立つけど)。


前フリが伴っているからだ。



カナーケンが怒りを覚えた理由はここにある。
茶道の先生は急にカメラ目線のドヤ顔で
ふうりん雷神と言い放った。



その一部始終には
前フリや行動、話の流れ等が一切無く



出てきたダジャレも
ただ単に母音の並びが風鈴と一緒の部分を持つ単語を強引にねじ曲げたただけのもの。


急にそんなものをドヤ顔で乱暴に放り込まれたら
いくら素晴らしい人間観を持った茶道の先生に対しても


「いやいや、筋が通ってねえじゃねえか。このやろう。」


とこうなってしまう訳である。
そう、問題は筋が通っているか否かなのである。


だから、ダジャレにもいくつかの決まりをつくろう


こういった悲劇を繰り返さない為にも
ユーモアの名の下に完全自由主義で無法地帯な節があるダジャレに対して
いくつかの決まりごとをつくる必要性があると考えた。


かと言って「ダジャレ法」なる条文や項を伴う分厚い書物をしたためるヒマは
無い上、ダジャレを気軽に楽しめなくなってしまうのは癪なので今は3つだけ。
また気づいたら増やしておきます。



  1. 前フリの無いダジャレは言わないこと
  2. 常に話の流れに沿ったダジャレを言うこと
  3. 前フリの無いダジャレを言いたくなった場合は、自分からそれなりのアクションを行うこと



この3つの決まりを、
もしも「ふうりん雷神」で守るとしたら



・風神雷神のポーズ(冒頭の画像参照のこと)を決めつつ「ふうりん雷神」と言う=前フリとしての行動が伴っている


・「あれれ、この風鈴、絵柄が無いじゃないですかー。やっぱり風鈴には絵が描いてないとね。後で私が書いときますよ。ふうりん雷神。」=前フリとして、話の流れをつくっている


「ふうりん雷神(ドヤ顔)・・・・・・・・・・・・・・・・・、ごめんなさい、何か変でしたね。」=前フリは伴っていないものの、行動(謝罪)が伴っている


こうすることでつじつまが合って、筋が通る。
聞かされた人も、いくらかスッと受け入れられるはずだ。


まとめ:ダジャレにも決まりは必要、だって立派な文化だから。

誰よりも日本の文化に詳しい外国人の茶道の先生が認めているのだから
ダジャレは日本の誇れる文化の一つといって差し支え無いだろう。
これからも多数の日本好き外国人が訪れ、ダジャレという文化に触れていく中
いくつかの決まりを守るだけで
「日本人はイラッとしなくなるよ」
ということをちゃんと伝えてあげることが、日本人としての重要な役割なのでは
無いだろうかと、そう思う次第である。
ダジャレで締めるんだろうなと思われた読者の方もいただろうが、思いつきません。ごめんなさい=行動(謝罪)が伴っている


「ダジャレ」でgoogle画像検索すると、これが最初に出てきます




提案の月曜日,カナザワケント