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2012年9月15日土曜日

【ご連絡】広告収入またはじめちゃいました


mufufutimes新広告収入体制発表


思い返すとつらい別れでした。
それは突然に、そして一方的に告げられた別れに、頭を抱え膝をつき、震える声でこう叫びました。

「レッツゴーオールザウェイ!(Googleなめんじゃねえぞこら!)」

忘れもしない、8月3日のことです。

我々は休みました。夏休みです。それは長く暗い、けれど普通に楽しい夏休みでした。もっと休みたかった。全然長くなかった。

「あぁ、夏休みが終わってしまう、お先真っ暗だよ(どうせ記事書いたってお金入らないのに…)」


そんなとき、我々を2つの光が照らしました。

新しいパートナーを紹介します。


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記事を読む上でのご不便となるかとは思われますが、何卒ご理解のほど、よろしくお願い致します。


muff一同

2012年9月14日金曜日

【来客は金曜日】あまのじゃくでいこう③


「1+1=2ではない」


学校で習うことって、ときどき、どうも腑に落ちないことがあります。



学生時代には何の疑問も持たずにそういうもんだと教えられるから素直にそうだと信じていて、大人になってから、いややっぱりおかしいぞと思うことが多いですが、現役時代からなぜ?と感じることもいくつかありました。



例えば、高校生のころ、生物の教科書に出てきた食物連鎖の図の中の言葉。
ヒトは「高等動物」という部類に入っていました。
自分たちのことを自ら「高等」と定義づけるんだ、傲慢だなぁと思った記憶があります。



国語のテストでよくあった「作者がどういう意図で書いたか25文字以内で答えよ。」という類いの問題。
本当に作者に意図を聞いたのだろうか? そうじゃないなら違うかもしれないのにと納得できないながらも、でも、こう書けば点がもらえるんだとわかっていてその解答を書いていました。



そもそも、1+1=2ではないことが多々あります。
コップが1個と1個だと合わせて2個だけど、その中に水が入っていて、水だけを合わせるとすると1+1=1になる。
大人になると、さらに 1+1=2ではないなぁと感じる場面があちこちで出てきます。
1人でできる仕事量が、2人になると単純に倍でなく3倍や4倍になることがあるとか。
1人暮 らしの人2人が一緒に住むと生活費は1人のときより安くすむとか。



こういう疑問にいちいちひっかかっていたら勉強や仕事では前に進めないから、「そういうもんだ」ですませてしまうけれど、「本当にそうか?」 とか「そうとも言えるけど、こうとも言える。どちらも正解ではないか?」みたいな疑いはときどき思い出さないと、自分でも気づかない内に本質的なことを見失ってしまいそうだなぁと鈴虫の鳴き声をBGMに考える初秋なのでした。





この夏の思い出。大磯にて。

写真は毎回記事の内容に一切関係なく、日々の暮らしの中で目に留まった1枚を掲載しています
 

来客は金曜日,セハタサチ

≪セハタさんのこれまでの連載記事はこちらです。≫

2012年9月13日木曜日

【エッセイ欄】雨のホーチミン

名古屋に出張し、福井への帰路で思い出したのは雨のホーチミンであった。




雨のホーチミン




僕はホーチミン空港で約8時間も過ごしたことがある。オーストラリアから日本へ帰る途中だったのだが、飛行機の遅延で予定していた便に乗り換えできなかったのだ。


よくあることだ。


8時間、空港内で過ごした訳だが、その間ずっと外は雨だった。


なぜ福井への帰路でそのシーンを思い出したのかは分からない。もちろん真っ当な理由はない。特急しらさぎの車内、外の景色、少しの疲労、何かがそうさせたのだろう。とにかく思い出したのだ。


約8時間。1人で、そして異国の空港内で過ごすにはあまりにも長い時間だ。ただ救いだったのは無線LANがフリーで使えたことだ。当日僕はiPhone3GSを愛用していた。暇な時間、僕はすぐさまiPhoneを無線LANに接続し、Skypeを立ち上げた。


そしてアメリカに留学中の友人にSkypeをかけてみた。すると彼はすぐに出てくれた。彼がいつも暇していることを僕は知っていた。


約2時間、いわゆる恋バナをしたことを覚えている。ベトナムとアメリカをインターネットで結び、日本人同士で他愛もない話をしたわけだ。話の詳細はほとんど覚えていない。鮮明に覚えていることは、熱くなったiPhone本体のあの感触。それだけだ。


残りの6時間。


そのうち1時間は食事で潰した。


「ノー、パクチー、プリーズ」

注文時にそう言ったにもかかわらず、大嫌いなパクチーがたくさん乗せられたフォーを出され、泣きそうになりながら食した。今となっては、その思い出に泣きそうになる。不思議なものだ。


最後の5時間。


ロビーで瞑想した。テレビでは古い香港映画がもちろんベトナム語吹き替えで流れていた。内容が全く分からなかった。聞こえてくるベトナム語を極力遮断し、瞑想に勤しんだ。


何に、どこに思いを馳せたのかはよく覚えていない。気がつくと5時間が経っており、香港映画は終わり、ニュース番組が始まっていた。テレビの音量は小さく抑えられ、外の雨音が妙に際立っていた。


「まだ雨が降っているのか」

瞑想の終着点がそれであった。


今日、福井の天気は晴天である。

雨が降る気配はない。ただどことなく秋の匂いがしている。


雨のホーチミン、晴れの福井。

確か、雨のホーチミンも9月であった。


それだけだ。

もう何年前のことだろう。
3年か、4年前。


まさか名古屋出張でホーチミンを思い出すとは。
名古屋とホーチミン、何かつながりがあるのか、、
そう思って色々調べたものの何も繋がっていなかった。

分かったことは、ホーチミンの姉妹都市は日本に一つしか無く、それは大阪市であるということだ。



兎にも角にも何年後か、またこの不思議な思考回路に泣きそうになることを僕は確信した。



名古屋、しらさぎ、晴れの米原。

そして雨のホーチミン。


不安定な木曜日, ノムラカズユキ

2012年9月12日水曜日

【コラム欄】コウジとの思い出

コウジとの思い出



小学生の頃、僕の一番仲の良かった同級生がコウジだった。

忘れもしない、コウジとは最初、ケンカばかりしていた。

そのケンカの理由が、「コウジと呼ぶな。コウジ君と呼べ。」
というものだった。


僕は昔から自分の中で違うと思ったことや、納得いかないことには
絶対妥協しない子供だった。(変なことに対してばかりである)

そういったことがあれば先生であれ、先輩であれ、僕は進んでケンカを
吹っかけるようなタイプだった。


今回のこの「コウジ君事件」もそうだった。


僕は納得がいかなかった。

みんな小学校に入り、仲良くなってきたところだった。

僕はみんなに「ふじもっちゃん」と呼ばれていた。

また、少年野球部で仲良くなった同級生には「ゆうき」と呼ばれていた。
(ちなみにコウジも同じ少年野球部だった。)

呼び名は実際なんでもよかった。

でも、下の名前で「ゆうき」と呼ばれる方が僕は好きだった。

だから、僕は小学生なりに考え、自分が嬉しいと思う呼び方で、
一番仲の良い同級生であるコウジにも下の名前で呼びたかったのだ!


でも、コウジは違った。

コウジは自分のことを「コウジ君」と呼ばれることを皆に求めていた。

周りの同級生は皆次々と、「コウジ君」と呼んでいった。

僕以外の男子がコウジのことを「コウジ君」と呼ぶのにそんなに時間はかからなかった。


僕はひとり「コウジ」と呼び続けた。

その度にコウジは「コウジ君と呼べ」と指摘してきた。

このやりとりは、いつもどうやって閉幕していたのか覚えていないが、
時には、にらみ合って、胸ぐらをつかみ合うようなことになったことは鮮明に覚えている。


時が経ち、僕は自然に「コウジ」と呼んでいた。

コウジも別に指摘しなくなっていた。

中学でも同じ軟式野球部に入り、仲は良いままだった。


あの頃のことをコウジは覚えているだろうか。

僕もこうやってmufufutimesでなんの記事を書こう、と考えていて
ふと思い出したぐらいの記憶だ。


もう一つ、衝撃的な事実を思い出した。


コウジは僕のことをちゃんと名前で呼んだことが一度もない。

いつも、「なあなあ」や「おっさん」と呼んできた。


そんなやつは僕だけじゃなかった。

小・中と野球部でずっと一緒で仲の良かったヨシモトもコウジに名前で呼ばれたことが
一度もなかったはずだ。

よく僕とヨシモトは二人で「なぜコウジは僕らを名前で呼んでくれないのか」議論していた。

コウジはいつもヨシモトのことを決まって「新喜劇」と呼んでいた。



ど田舎の水曜日,フジモトユウキ

2012年9月11日火曜日

【コラム欄】とにかく読んでほしいエッセイがある

先日、宮沢章夫というひとの「よくわからないねじ」というエッセイ集を人に借りた。

ぼくは本を読むのはまぁ普通に好きなんだけど、とにかく本を選ぶセンスがなくて、自分で買った小説なんかは十分の一も読まずに閉じることも多い。

だからもはや自分で小説を買うことを諦めている。

で、この「よくわからないねじ」をすすめてもらい読んでいるのだけど、これがとてつもなくおもしろい。もう二度と自分で本など買うかと思うくらいおもしろい。

そしてそのなかのエッセイのひとつ「だめに向かって」というものがまた抜群におもしろい。
とにかくこれを読んでほしい。

ぼくも人に本をすすめたい。

以下、一字一句そのままそのエッセイを載せてしまうことにするけど、どうか、一部抜粋ということで許してほしい。なんつって。

横書きなのが読みにくくて申し訳ないのだけど、こちらも書き起こすのも楽ではなかったので、少し我慢してほしいと思う。

それでは、良い一日を。


ひとり歩きの火曜日,ツノダヤマト

 「だめに向かって」

 私は「だめ人間」に憧れる。
 人は多かれ少なかれ、誰でも一様に、「だめ人間的なるもの」を内包しているもので、「いや、おれは、しっかり者だよ」などと考えるのは勘違いも甚だしい。ある者は、電話の対応がちゃんと出来ないだめ人間であり、また別の者は、目的の場所に行こうとしても必ず道に迷うことにおいてだめ人間である。しかし、私が憧れる「だめ人間」はその程度のだめではない。
 だめをきわめれば、そこに聖性が出現する。
 もう、だめでだめでどうしようもない。あー、だめだ、ほんとにだめだといった果てにたどりつくそれは、凡人の市民生活とはまったく無縁のものだ。家に帰れば温かい風呂があり、湯船につかって幸福を感じるような小市民に、「だめ人間」の聖性など想像もおよばないだろう。ではいったい、「真のだめ人間」とは何か。
 よく知られているだめ人間といえば、誰もがまっさきに思い浮かべるのは、太宰治ではないか。「だめ人間」のモデルとして太宰は有名だが、同時に私たちが思い浮かべるのは、三島由紀夫が、太宰の文学をひどく嫌悪していたことだ。
 三島由紀夫は、日記体で書かれた『小説家の休暇』というエッセイの中で、太宰について次のように書いている。
「太宰のもっていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった」
 はじめてこれを読んだとき、私はしばらく、茫然とした気持ちになった。さらに、「治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない」と書かれ、すいませんと頭をさげるしかないが、ここには、「だめ人間」に対する近代人としての正しい認識がある。それゆえ、三島が、「私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ」と書くのも無理はなかった。さらに、それに続けて三島は書く。
「第一私はこの人の顔がきらいだ」
といきなりこうきた。さらに、
「女と心中したりする小説家は、もうすこし厳粛な風貌をしていなければならない」
普通に読めば、太宰を完全に否定した言葉と解釈されるが、逆から考えれば、「だからこそ、真のだめ人間だ」と讃える言葉に感じる。そうか、あれが「だめ人間」の顔なのか。
 だめ的なるものを求めて、私は二十数年ぶりに、『人間失格』を読んだ。
『人間失格』は大半が主人公による手記の形によってつづられている。そして、作品の半ば、銀座のカフェに勤めるツネ子と心中するが自分だけが助かり生き残ったことを主人公はこう記した。
「死んだツネ子が恋いしく、泣いてばかりいました。本当に、いままでのひとの中で、あの貧乏くさいツネ子だけを、すきだったのですから」
 事の成りゆきも、そして言葉も、そこにだめ人間の出現を感じさせ、「お、だめ人間登場」と思わず口にしたくなるが、問題はそのすぐあとの一節だ。入院中のことを彼はこうも書く。
「看護婦たちが陽気に笑いながら遊びに来て、自分の手をきゅっと握って帰る看護婦もいました」
 さっきまで泣いてたやつが、そんなことをわざわざ手記に書くなよと私は言いたい。ここにいたって初めて私は、「だめ」の一面を見たように思えた。
 では、芥川龍之介はどうなのか。
 自殺した小説家として芥川も忘れてはならないが、芥川の場合、太宰とはかなり事情が異なる。女と心中したのでもなければ、玉川上水に入水したのでもない。この二点をとっても、芥川の分は悪い。自殺すれば自動的に、「だめ人間」になれるほど、「だめ人間」は甘くないが、晩年の作品、『歯車』を読むと、そこになにか不気味なものを感じる。
 だめの気配がかすかに漂っているのだ。
『歯車』は、自殺を決意した彼による、その意識の状態を描いた短編である。司会の縁に回転する歯車が現れる。ひどい頭痛にも悩まされる。結婚式のパーティで出された料理の中に彼の目には蛆虫が見えもする。どうにも病的な印象は拭えないが、ただ一箇所、まったく理解できない不思議な言葉を発見した。往来を歩いている主人公の「僕」が、不意に次のように感じる。「暫く歩いているうちに痔の痛みを感じ出した。それは僕には坐浴より外に癒(なお)すことの出来ない痛みだった」。これだけでもかなりあれだが、問題はその先だ。いきなり「僕」はつぶやくのだった。
「『坐浴、ーベエトオヴェンもやはり坐浴をしていた。………』」
 何をつぶやいているんだこの男は。これもやはり「だめ」の一種なのだろうか。ちょっと判断しかねるところが、芥川の芥川たるゆえんかもしれないが、そこへゆくと坂口安吾はたいへんにわかりやすい。彼のエッセイのひとつだ。タイトルを一目見て、そこに、にじみ出るようなだめを感じた。
『僕はもう治っている』
 いきなりこうだ。この野放図な言葉の雰囲気はなんだろう。治っているなどと大っぴらに言うやつほど、じつは治ってはないのではないか。神経衰弱と催眠剤による中毒で東大付属病院の神経科に入院しているとき、病室から読売新聞に寄稿したエッセイである。
「ボクはもう治っている。去年の今ごろと同じように元気で、毎日後楽園で野球を見ているが、ボクはさらに、二十年前の若いころの健康をとりもどすためにもうちょっと入院するつもりでいる。秋までには長編小説を書き終り、それがすんだら縦横無尽に書きまくるつもりである」
 こうして、「ボクはもう治っている」と書き、「縦横無尽に書きまくるつもりだ」と書き、なんか、やたら威勢がいいが、威勢がいいだけに、まだだめなんじゃないのかと人に心配させる響きがこの言葉にはある。そのなんとも心配な雰囲気が、「だめ人間」のまた別の側面だ。
「だめ人間」の奥は深い。
 それで思い出すのが、明治から大正期に活躍した作家、岩野泡鳴だ。『泡鳴五部作』の、たとえば、『放浪』には、そのだめぶりが、見事に描かれている。
 泡鳴を思わせる主人公は、樺太で事業に失敗し札幌に住む知人の世話になる。そのあいだ、東京に残した妻が別の男と通じているのではないかと心配するが、また裏腹に、別に作った愛人からの手紙の返事がないと苦悩する。いちいちくだらないことで苦悩するのが、読む者にいやでもだめを印象づける。もうそんな女とは切れればいいじゃないかと忠告する友人に答え、
「そりゃア、それッきり、いくら手紙で事情を云ってやっても、向こうからの便りがないのだから、僕もさッぱりして、思い残りがなくなったわけだが、どうせ僕には女が入用だから、矢ッ張り気心の分ったものをつづけている方がいいから、ねえ。」
 などと言う。「いいから、ねえ」じゃないだろうと私は思う。だいたい、作家のくせに事業に手を出すのもどうかと思うし、「おれは宇宙の帝王だ!」と人前で演説するのも考えもので、坂口安吾の、「縦横無尽に書きまくるつもりだ」に似て、そういった種類のだめを感じさせる。岩野泡鳴がどういった人物なのかを調べたところ、当時、彼が人々から次のように呼ばれていたことを知って私は胸が熱くなった。
「偉大なる馬鹿」
 これはもう、「だめ人間」以外の何者でもないではないか。岩野泡鳴おそるべしだ。
 私は、「だめ人間」に憧れる。けれど道は遠い。だめの果てに現れる聖性は、なお遠い場所にある。




2012年9月10日月曜日

【コラム欄】米のカントリー歌手、ミランダ・ランバートのスナップを見るといつも思うことがある。

「・・・・・。」


今日は本当に下らない記事を書きます。


夏休み終了後再開早々、すごく読む気を削がれるような見出しで申し訳ありません。


僕は米のカントリー・ミュージックが好きで、特にブルーグラスなんてよく好き好んで聴いているわけですが、米カントリー・ミュージック界の若き歌姫と呼ばれる歌手の内の一人に、ミランダ・ランバートという歌手がいます。2004年以来そのキュートなルックスとハスキーな歌声で人気を博し、グラミー賞にもノミネートされたこともある実力派シンガーです。


で、そいつがどうしたと思われることでしょう。
このCDを聴けとか、ライブがあるから行こうとかそういうことは書きません。
それよりもすごく道理は単純です。




この人のスナップ写真は、どれも「今日何食べようかな」と考えているようにしか見えない。




私カナーケンが言いたいことはその一点のみです。
えぇ。


とりあえず見てくれ。


まぁ、写真を見て感じることなんてそれこそ千差万別。
よって、「な?見えるだろ?な、な?!」
といって強引に押し付けることはありません。
ただ単に、どうしてもこの人の顔を見ると私自身そう思えてならない。
それだけのこと。
数枚紹介するので、まぁ見ていってください。










「今日の晩御飯、何にしようかしら・・・・?」













「確か冷蔵庫の中に昨日のパストラミサンドの残りがあったはず・・・・・。」














「この撮影が終わったら、スタジオ近くの魚介のレストランに行こうと思うの。でも閉まってたらケバブでもいいわ。」













「バーガーキングでランチしたから、晩はハンバーガー以外のものを食べましょう。で、デザートは31のジャモカアーモンドファッジのキングで決まりね。」












「・・・・・ふぅ、この曲でやっと終わりね。今日はもう疲れたから早く帰ってピザでも注文しましょ。ドミノのエクストラヴァガンザをLサイズとダイエットペプシってところかしら。」











「今日のスタジオのケータリング最悪。スウィートミルクシェイクくらいしか美味しいものが無いなんて信じられない。後でマネージャーにクイズノスのアボガドサンドでも買いにいかせようかしら・・・。」











「あら、あんなところにスシバーなんてあったかしら・・・。まぁ、いいわ。お昼はあそこにしましょう。」


























まとめ:まぁ、多分俺だけだと思うわ。ごめん。


でも、本当にこの人の顔を見るたびにスナップ下のコメントのようなことしか思い浮かばないのである。もうほとんど病気だろう。そして、なかなか他人と共感し得ないストレスに押し潰されそうになってしまったのである。どうか、ご理解願いたい。



ミランダの夫、ブレイク・シェルトンも、まさに食いしん坊といった風貌。
(絶対に何を食べようかを常に考えているはずだ。)




提案の月曜日、カナザワケント