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2013年5月2日木曜日

【小説】泡になりたい、君と。〈No.10〉


気がつくと時計の針は深夜12時を回り、僕は自分の部屋のソファーで横になっていた。立ち上がって水を少し口に含みたいと思ったものの体が脳の命令をきいてくれない。いつものように飲みすぎたようだ。バンタロウと一緒にビールを飲むと基本的に際限がない。だいたいビールを56杯飲み干した頃を境にして記憶が飛び、お互い意識が戻ると自分の家に戻っている。今回も例の通りだ。それでも僕はつい数時間前の記憶を必死で探り、今宵のビールを少しでも有意義なものにしようと努めた。記憶がない時間の言動を呼び起こすことは非常に難易度が高い。ただ、1杯目のビール、2杯目のビールと一つ一つを確かめながら揺らめく記憶の糸を引き寄せる作業は嫌いではない。特にまだ酔いが残っている状態で、こうしてソファーで横になって瞑想する時間は生産的な行為に思えるのだ。



4杯目のビール。おそらくバンタロウは僕に一人旅を勧めた。僕が何を聞かれてもあやふやな返答しかせず、自分の頭の中で何も整理できていないと思ったのだろう。気分転換と頭の整理をするために一人旅でもしたらどうだ、というバンタロウの提案に僕はおそらく、そうしよう、と返答した。社会人になってから長期休暇というものを取った記憶はない。ちょっとゆっくり日本を巡るのも悪くないな、と思ったのだ。ただ、いざこうして自分の部屋に戻り、酔いが少しずつ覚めつつある状況ではその判断がどう考えても妥当なものだとは思えなかった。なにしろ僕には仕事があり、予備校では僕の授業を待っている生徒がいる(と信じたい・・・)。その生徒の純粋無垢な表情を想像すると、長期休暇をとって優雅に旅に出るということは難しいと感じ始めた。それでも僕の中で、奈海からの電話は何かしらのきっかけだと思っていたし、ゆっくりと何にも邪魔されず物思いに耽りたいという気持ちは持っていた。僕は決死の思いでソファーから立ち上がり、冷蔵庫に向かった。僕が求めているのは水ではない。キンキンに冷えたビールであった。冷蔵庫から缶ビールを一本、冷凍庫からは冷やしてあったグラスを一つ掴み取った。そのままキッチンでビールをグラスに注ぎ、疲弊しているであろう胃袋にそれを流し込んだ。



決心することは思った以上に簡単であった。ビールはいつも僕の味方である。僕はビールを飲みながらパソコンに向かい、勢いにまかせて職場の上司にメールを送った。《九州にいる親戚が倒れた、お世話になったので駆けつけたい。落ち着いたら連絡します。》嘘をつくのは心苦しかったが、それ以上に大切な何かを実行しようとしていることは自分の中で明白であった。送信ボタンを押した後の清清しさは、後ろめたい気持ちを遥かに凌駕していた。



明日、出発しよう。僕は遠足前日の子どもと同じようにまだ見ぬ世界を心待ちにし、眠りについた。



不安定な木曜日, ノムラカズユキ


2013年5月1日水曜日

【コラム欄】フジモト学生時代の野球部の思い出と髪型〜小学生時代〜

ぼくは小・中・高校時代、ずっと野球部に入っていた。

今週からは少し、その当時の思い出と髪型を振り返りたいと思う。


小学生時代



ぼくが通っていた小学校には少年野球部がなかったので、小学3年生のとき、隣の東山小学校の野球部か夢野小学校の野球部に入部させてもらおうと親父のユウジと一緒に見学に行った。

当時からぼくはすごく人見知りで、初めて会う人やグループ、特にこういった既存団体への見学などの行為が本当にダメで、行く前に吐きそうになっていたことはしっかりと憶えているし、今も単身でそういった行為をすることはとても苦手だ。


当時の髪型は、前髪が残った角刈りだった。


ユウジが前面に出てその2チームのコーチや監督と話してくれた。

どちらともすごく雰囲気のいいチームだったけれど、ぼくは2チームを見に行った瞬間に東山小学校の少年野球部に入ろうと決めていた。

理由はユニホームが青色でとてもかっこよかったから。


髪の毛はひと月に一度、必ず最寄りの散髪屋「ユーカリ」に通っていた。


東山少年野球部には無事に入部できた。

しかし別の小学校から通っていたということもあり、友人が一人もいず、顔見知りも一人もいなかったということもあり、人見知りはすごかったけれど、すぐにヨシノリというとても優しい同級生が友達になってくれたし、いじめられたけど優しかった先輩(名前忘れた)も家の近くに住んでいて帰りは一緒に帰ってくれたので、大丈夫だった。


通っていたユーカリはとても親切で優しい夫婦が営まれていて、毎回散髪が終われば色々なお菓子が詰められたビニール袋を手渡してくれた。散髪からの帰り道、いつも入っているプロ野球チップスを食べながら窓ガラスに映る自分の角刈りっぷりにため息をついた。次に日、学校に行くのがとても嫌だった。


東山少年野球部に入部し1年が経ったころには、同じ小学校から下の名前を呼び捨てにしたらむちゃくちゃ怒ったコウジ(以前の記事「【コラム欄】コウジとの思い出」参照)や多くの友人が越境して東山少年野球部に入部した。

小学6年生のときには越境組がチームの半分を占めるほどになった。

そしてぼくがキャプテン、ユウジが監督となり、チームは神戸市3位になった。


その頃、小学6年生となっても相変わらずユーカリに通い、角刈りにされていた。
当時のぼくにはまず「床屋を代える」という思考はなぜかなかった。
だが、ユーカリに行く曜日はちゃんと考えてから行った。
例えば3連休前の放課後。
こうすれば、いくら一分の狂いのない見事な角刈りになったとしても3日間の「慣れ」が生じる。
自分の顔ととげとげしい髪型が丸みを帯び、マッチしてゆく・・・
連休中にできるだけそうなり、休み明けに半笑いで「ふじもっちゃんおはよう!あ、髪の毛きった?(笑)」と話してくる同級生を一人でもなくしたいと願った。

しかし、実際には連休中に「慣れた」のは「ぼくの目」だけであり、休み明けには何人もの同級生に「あ、髪の毛きった?」と、いや見たらわかるやろ、というひどい質問をかけられ続けた。


小学6年生の時のある練習試合の日曜日、その日は監督だったユウジの誕生日だった。

ぼくは打席に入る前にふとそれを思い出した。ホームランを打ちたいと思った。

何球目か忘れたがスイングすると、ポンとフラフラ打球が舞い上がり、風に乗ってライトスタンドに入った。

小中高の野球人生でホームランを2本しか打ったことはないけど、ユウジの誕生日に打てて良かったと思う。


冬でもぼくは角刈りだった。
とても寒かったし、やはり恥ずかしかった。
横はいつも3ミリぐらい。トップもさほど変わらなかっただろう。
横からトップに向かう角度は90度。両サイドとも見事な直角であった。
ただし、前髪だけは2センチ〜3センチはあった。
いつも素晴らしいぼく仕様のきれいな角刈りが出来上がった。

恥ずかしかった。

でもとても親切で優しいユーカリのご夫婦を責める気持ちは全くなかった。
ただ、別に要望は伝えてもいいのではないかといつも思っていた。
そしてある時、一度だけ髪型の希望を伝えたことがある。

フジモト「すいません、少しだけ(トップを触りながら)長めにお願いできますか?」

奥さん 「わかりました」

言えた。ついに言えた。ご夫婦を傷つけることなく、角刈りは嫌だ、おしゃれボウズにしてくれと希望を伝えることができた。
ぼくは安堵して、いつもと同じようにスラムダンク30・31巻を手にし、鏡の前に座った。
スラムダンクのストーリーに感動し涙をこらえ読み終える頃、奥さんに「どうですか?」と声をかけられた。

鏡に目をやるとすこし長めの素晴らしい角刈りのぼくがいた。




《次週》
フジモト学生時代の野球部の思い出と髪型〜中学生時代〜




ど田舎の水曜日,フジモトユウキ

2013年4月30日火曜日

【地方欄】ツノダの田舎生活〜ここ1週間の生活を振り返る〜

こんばんわ、田舎くらしも今日で丸1ヶ月となりましたツノダです。

先週も書きましたが、まだ1ヶ月かよ、長いわまじかよ

といった具合でして、僕自身一体なにをしてるのか、
ツノダの田舎生活の紹介も兼ねまして、先週一週間の生活を振り返り、なんでこんな時間が過ぎないのか観察してみたいと思います。


月曜〜水曜 ー茶と炭の仕事ー


茶畑、炭窯のある野瀬という場所にて撮影。20代とは思えないフジモトの後ろ姿


ぼくは現在2つの職場をかけもっておりまして、週のはじめの半分を徳寿園というお茶屋で働かせてもらっています。

で、先週22日〜24日は一体なにをしていたかといいますと、、、、、






忘れた…


え、忘れた…


思い出せない。


たぶんお茶の選別と袋詰め、炭を釜から出す仕事、

といっていたら思い出しました。そうです、

23、24日は大阪グランフロントのうめきた広場に出店、

グランフロントでの様子。5月は3〜6日に出店
22日はその為の準備として、やはりお茶の選別と袋詰め、炭を釜から出す仕事、そしてこの日は茶の木を定植する仕事をしていました。思い出しました。


山で大きくなった茶木を畑に定植

しかしなんでなんでしょうか。

まじで忘れるほど先週のことが遠い過去


野瀬で仕事が終わると現れる夕日



木曜〜土曜 ー畑とレストランの仕事ー


週の後半、木曜日からはフジモト兄夫婦が経営する農家レストラン、三心五観で働かせてもらっています。

25日は、丹波の野菜を移動販売している「にじ屋」の片山さん(暖かくなり野菜がたくさんできてくると、この片山さんにも協力してもらいぼくも移動販売する予定)がきていたので、朝からタケノコを掘り、

30分ほどで大量に採れた

根っこ部分なのかなんなのか知らんが非常に気持ち悪い
その後、椎茸の原木の整理をし、

生えている竹を利用して原木を立てかけるところをつくった(一度失敗して崩壊そして再建)

昼からは畑にでてハウスでなにかしてたけど覚えてない。

その後、籾から芽がでて育苗第二フェーズに入ったということで、フジモト兄の元研修先である小橋さんのもとで育てられている稲の赤ん坊的なやつをそれぞれハウスへ移動させた。

気持ち悪いほど発芽している
プレート的なものに土を敷き詰め、籾をバラまき温度管理された場所で保管すると、3日ほどでこんな感じにうじゃうじゃと芽が出てくる。

これが意外と重くて、運搬作業が地味にキツい。



これが育つと奥のような緑になる。とおもう。


これで25日は終わり、

26日はたしか休日を暇していたありちかを駆り出し午前中は草刈り&草引き。

暖かくなってきていろんな生き物が現れた。

変な虫。体のバランスがおかしい

仮面ライダー系統の虫。手袋してるかんじが良い

ザ・カエル
午後からは田んぼにいき、畝に土を塗るという説明しにくい肉体労働をした。


27日はというと、午前中は7時過ぎからボロ家前の草刈りをしたあと、畑に出向き、
前日の草引きのつづきを。

昼はレストランの予約があったのでレストランの手伝い&次の日も大人数の予約があったので仕込み手伝い。
店の隅で飯を食うマルコメ(フジモト兄夫婦長男)


その後2時すぎからは畑に戻り草引き&種まき(バジル&ズッキーニ)をしたような気がする。



すごい。

写真があると思い出せる。



田舎の時間速度は遅い


しかし改めて振り返ってみると、本当に先週のことなのかと思うほど遠い過去のような気がする。

ホームレス生活の3ヶ月は一瞬で過ぎ去ったというのに。


やはり田舎は時間の流れが異常にゆっくりなのではないかという推測にいきついてしまう。
上にあげた昼間の仕事に加え、ぼくらはアフターファイブも忙しい。


こんなにたくさんのこと、絶対都会ではできなかった。

田舎、おそるべし。

草刈りで大量に採れたヨモギでタバコをつくった

ひとり歩きの火曜日,ツノダヤマト

2013年4月29日月曜日

【提案欄】ミートボールはたるんでいるぞ




ミートボールはたるんでると思えてならない



ミートボール。
その名の通りの肉の玉。
スウェーデンでは不動の家庭料理界の重鎮であり、
日本ではおしなべて弁当界のプリンス。


国民の誰もがその名を知るミートボールという存在。
国民的肉料理。
老若男女の憧れ。













いや、




果たしてそうだろうか?




私にはたるんでるとしか思えない。





今回はそんな「私がミートボールをたるんでるなと思う理由」
つらつらと書き述べてみようと思う。

※今回形容するミートボールは大体が日本式の
お弁当のおかず用ミートボール」だと思って頂けたら幸いです


①タレ依存





タレなくしてミートボールでは無し。
的な感じがこう、自立心の無さを強調してる気がする。
読者のみなさん、タレなしのミートボール、食ったことあるかい?
というよりタレなしで十分美味い肉がミートボールにされてたら、少し哀れな気持ちにならないかい?
っていうかあのタレ美味いよね、どうやってつくってるんだろ?
大体弁当の中の並びとかでも
赤ウインナーにもたれかかって鎮座してることが9割くらいだった気がする。
ミートボールとは依存で成り立つ食料なのかも知れない。


②晩御飯のおかずの主役になれない






「お母さん!今日の晩御飯のおかず何?!」

「ブリの照り焼きよ!」
「やったー!」

「豚の生姜焼きよ!」
「やったー!」

「鶏の唐揚げよ!」
「やったーやったー!」






「ミートボールよ!」






「やっ…………え???



ってなると思う(個人的憶測)


これを「ミートボール入りポトフ」とか
ミートボール入りスパゲティ」とかにするなら話は別だが、
やはりその料理名のみで主役を張れるほどのスター性は兼ね備えておらず、
弁当を飛び出してしまえば、いわゆるB級臭のようなものが醸し出されてならない。


そしてここで浮かび上がる疑問はハンバーグの存在である。




ミートボールをハンバーグに置き換えればたちまち


「お母さん!今日の晩御飯のおかず何?!」

「ハンバーグよ!」
「ぃぃぃやったぜぃー!フー(ムーンウォーク)!」


となってしまう。


材料はほとんど同じで、違いは形が丸いか扁平なわらじ型かの一点のみ。大きさは数でカバーできる。お互いタレにも依存してる。

しかしこの歴然とした晩御飯おかず間格差は、一体何なんだろう。

熟慮の余地ありだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ここで軽くインターバル。
そもそもミートボールとは何なのか。wikipediaを引用してみよう。

ミートボール(英語: meatball)は、挽肉につなぎと調味料を入れて混ぜ、丸く成形してから、加熱して作る料理である。日本語では肉団子(にくだんご)・メンチボール[1]とも言う。


肉団子は分かるが、メンチボールとも呼ぶとは知らなかった。

ミンチカツとメンチカツの違いのように、関西と関東で呼び名が変わっているのだろうか。

なんだかミートボールが俄然研究意義の深い料理に思えて来た。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


③適量が分からない。





大体お弁当には2、3個ほど入っているのが相場だと思う。
そして今までそれを何の疑問も無しに平らげてきたが、
果たして適量が2、3個かどうかは甚だ疑問だ。
かといって10〜15個詰め込まれても嫌だし、間を取って5〜7個とか言われても「う〜ん」となってしまう。
なんならもう巨大な1個にしてしまえばいいのではないか?
しかし想像に易くは無い。


筆者がミートボールにたるみを感じるのはこうした適量が分からないことではなく、そういった事実から浮かび上がる中途半端さなのだと思う。


④外食しにくい、手軽に食べれない





この世にミートボール屋さんが存在しない(たぶん)という事実。

これ一点のみで「おい!ミートボール!しっかりしろよ!ハンバーグレストランはしっかり存在するじゃねーか!大体なんでお前を外食できるところで1番に思い浮かぶのが家具屋さん(IKEA)なんだよ!」となる。


はたまた、サンドイッチ等にも挟んで支障無いはずが、ミートボールサンド」は残念ながらほとんど見当たらない。
打倒ハンバーグの闘志を今こそ燃やして欲しいところだが、ミートボール界隈からホットな話題は余り聞こえてこない。


やはりたるんでいるのだ。


まとめ:まぁたるんでいても好きなんだけどね





勘違いしないで頂きたいのは、
別に筆者はミートボールがたるんでいることを悪いことだとは思わない、ということだ。この世には樽ドルやデブ猫といっただらしないことを特徴としたモも存在するわけで、むしろそこが良い個性として際立っていると思えるミートボールは素晴らしい食べ物だと思う。
どうかミートボールにはこれからも末永く
お弁当の隅で輝き続けていて欲しいものだ(タレで)。


元横綱武蔵丸(本名フィアマル・ペニタニ)
の頭部だけを切り抜いた画像
(特に意味はございません)


提案の月曜日、カナザワケント