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2012年9月20日木曜日

【エッセイ欄】男3人、18歳、鈍行列車の旅

僕は18歳の時に友人2人と青春18きっぷで旅をした。
3日間の旅だったが、とにかく遠くまで行きたいという気持ち一心で地元神戸を離れた。

男3人、18歳、鈍行列車の旅



行程は恐らくこうであった。


一日目は
神戸→敦賀→金沢→直江津→長岡→新潟

二日目は
新潟→会津若松→郡山→黒磯→宇都宮→上野→東京

三日目は
東京→熱海→静岡→浜松→名古屋→米原→京都→神戸


とにかく移動が全て電車(鈍行列車)であったため、お尻が痛くてたまらなかった。


一日目、僕らは7時16分に敦賀行きの新快速に乗って神戸を発った。
春休み中であったせいか予想以上に人が多かった。
暖冬の影響か、はたまた行った時期が3月上旬であったからか新潟でさえ雪が全く見られなかった。


田舎の方の列車は一時間に一本ペース、下車するときは自分で扉を開けなくてはならないのだ。
福井に住んで早一年。今では当たり前のことが当時は新鮮であった。新鮮なのはいつも最初だけだ。
見たことのない街、路地、駅、人々。それが非日常を形にし、なんともいえない味を醸し出す。


男3人で長時間電車に揺られていたわけだが、会話は常に恋話であった。
高校を卒業し、浪人を経て無事に大学入学が決まり、未来が光で満ち溢れているはずなのに、僕らはせつない恋の話をし続けた。
雪のない新潟で、ボロボロの格安ビジネスホテルに帰ってからもそれは続いた。
同じ高校で同じ部活でお互いの恋愛事情は熟知しあっていた。話はとにかく弾んだ。


二日目、快速で新潟から会津若松に向かう途中、さすがに内陸となると雪景色もいくらか視界に入った。
しかしそれは僕らが期待していたものとは程遠いものだった。
凍てつく冬の寒さは無く、遠慮がちな雪が最後の力を振り絞って春の太陽と戦っていた。
僕は列車に揺られて眠りについていた友人2人を尻目に、一人窓の外を見続けていた。


昨日の出来事さえも僕の頭の中で思い出となっていることが、無性に悲しく思ったことを今でも覚えている。
次々に僕らは未来を消費して過去を排出しているのだ。そう考えると今、この瞬間を生きるということに甚だ緊張を覚える。
時間は限られているのだ。その限られた中で僕らは精一杯生きていかなければならない。
なんてことを考えながら車窓を満喫していた。


列車がゆっくりと会津若松に近づき、車内アナウンスが入った頃、友人2人はほぼ同刻に目を覚ました。
僕は手前味噌ながらも1人、大人に近づいた気がしていた。


東京で夜を越し、次の日、神戸に戻った。
恐らく、僕ら3人は神戸駅に戻ってJRを降りる時、本当の意味で高校時代という青春を卒業した。
別々の地域の大学に行く3人。今思うとそんな気がする。
僕は会津若松に向かう途中で、他の2人もきっとどこかで何かに気付いたに違いない。
あの日から僕は高校時代の淡い甘酸っぱい感情を抱けていない。


それを成長と呼ぶなら哀しいことだ
でも僕はいつでも思い出せる。あの時の仲間がいれば。


ノムラカズユキ, 不安定な木曜日