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2012年6月27日水曜日

【地方欄:丹波】『働く』ということ


今日もありがとうございます、muffの藤本です。
mufufutimesど田舎の水曜日、4回目参りました。

梅雨ですね。
先週、丹波はよく雨が降りました。
うちは古い家なので雨漏りがします。
でも、大丈夫。
よく昔ドリフで見かけた銀のでかい「たらい」を雨漏りスポットに置けばオーケー。

尚、うちの雨漏りはなかなかの降水量になったときにだけ、なります。
そのため、雨漏りの水がたらいに落ち、コン、コンと響く音が聞こえると、外を見なくても
「ああ、今日はなかなかの雨が降ってるんだな」
ということがわかるんですね。

素晴らしい家ですよね。

フジモト借家、通称ボロ家の玄関付近



それでは、今日も「地方欄:丹波」をご覧くださいませ。
  


【地方欄:丹波】『働く』ということ




『働く』という言葉は、一説によると「傍(はた)」を「楽(らく)」にするというのが語源だそうです。

働くというのは、人のために。
働くというのは、自分のためではなく、周りの人を楽にするため。

ぼくはこの言葉を聞いて、なぜ自分は『働く』のか、今一度考えてみました。


結論からいうと「世のため、人のため」に働けたら最高だなと思う。


自分の人生の中で、たくさんの時間を費やす『働く』という時間が、
お金を稼ぐためだけだったり、イヤイヤだったり、たくさんのストレスを感じながら
変に寿命を縮めるような働き方は御免こうむりたいのです。

また、ぼくが本当に幸せだなと感じるときは、
「人が喜んでくれたとき」だなと思います。
もちろん、美味しいものを食べたり、自分で作ったチャイが美味しかったりすると、
幸せだなと感じます。


でも、そこに誰かがいて、幸せを共有できる人がいたほうがもっと幸せです。


だから、ぼくの場合、人が喜んでくれたら幸せと感じることから
働くというのは、周りの人を楽しませるため
ということになるのでしょうか。

まだまだ納得のいく答えが出ませんが、結局答えなんて出ないままに死んでいくのかな
と思ったりもします。



先日、おじいちゃん(社長のお父さん)が炭釜の前で一休みしているときにこんな話をしてくれました。




「『働く』ってのは『傍が楽』とも言うじゃろ?一生懸命働いている者の横におる者は楽なんじゃ。横の者になったら楽やで?でも、横着な考え方したらあかんっていうことじゃ。」





おじいちゃんは本当にぼくにいつも「はっ」と気付かせてくれます。

そして、おじいちゃんのことばはいつもずっしりと重いのですが、心にすっと入ってきます。



やっぱり、『働く』ということの本当に納得のいく答えというものは
まだまだ出てくれそうにありません。


でもなんだか元気が湧いてきましたので、明日もまた精進することにします。


それでは、また来週お会いしましょう。


ど田舎の水曜日,フジモトユウキ