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2012年7月13日金曜日

【来客は金曜日】あまのじゃくでいこう

<ごあいさつ>
文章を書くのは昔から好きなのですが、決してうまくはないですし、他の記事のようにクスリと笑えるおもしろい話も書けません。

私、おもしろくないんです。

そう自覚していて、藤本さんにもそのままお伝えしたのですが、それでいいからと、楽しみにしてますと、うまくのせられ、ゲストライターなるものをつとめることになってしまいました。なんとかもおだてりゃブログ記事を書きます。

あ、申し遅れましたが私、瀬畑佐智(せはたさち)と申します。sancaという名前で店舗は持たず、不定期でいろいろな活動をしています。
藤本さんにはその活動の中のひとつ、sanca marketでご協力いただき、お知り合いになりました。
詳しくはこちら⇒www.sanca.jp

とるにたらないテーマな上につたない文章で大変恐縮ですが、温かい目で見守っていただけたらうれしいです。
どうぞよろしくお願いいたします。



なぜ、あまのじゃくか?



多数決があまり好きではありません。

多数決が好きか嫌いかなんて、そんなこと考えたこともない。
たぶんそんな人が多いと思います。

それくらい、民主主義のわが国では複数人で物事を決めるとき、一番手っ取り早く、かつ平等だとされている決定手段です。
総理大臣にはじまり家庭の晩ごはんのメニューにいたるまで、何かを決めるときは何でもすぐ多数決。あらゆる場面で当たり前のように使われています。

でも、個人的にはこの方法はものすごく不公平だと思っています。
なぜなら、少数派の意見は無視されるからです。ときには間違いとされる場合もあります。「少数だから」というだけでその権利を無視するなんて、間違いとされるなんて、まったく民主的ではないじゃないかと思うわけです(かのガリレオなら激しく同意してくれるはず)。


いつからそう思うようになったかというのにははっきりとした記憶があります。
小学3年生からです。

ある日、理科の授業で、プリントを各自で解いて答え合わせを班単位でし、班ごとに発表しましょう、というのがありました。
1班は5人編成。答え合わせをしてみると、ほとんど全員一致で同じ答えだったのですが、選択問題で1問だけ意見が割れたのがありました。班としてどの答えを正解とするかを決めるのに、ここでも(小学生でも!)やはり何のためらいもなく「多数決しよう」ということになりました。

すると、私一人だけが違う答えだったのです。

私は自分の解答にちょっと自信があったので、おかしいなと一瞬は思いましたが、5人中4人が同じで私だけが違うとなると、さすがに自分が間違っていたのだと思い、書き直しました。ところがその後発表してみると、その多数派の答えが間違っていて少数派の私の答えが合っていたではないですか。


この瞬間、「ほらぁ、やっぱり〜!」と(心の中で)叫ぶと同時に、かならずしも「多数の意見=正しい」ではないのだということを身を持って学んだのでした。
それまではそういうものだと信じていましたから、子供心にも目からうろこだったのです(そのときはもちろんそんなことわざ知りませんでしたけど)。

それ以来、「これが大多数の意見です」みたいなことがあると少数派の意見がすごく気になったり、一般的に当たり前とされてることがあるとその逆を考える癖がついたように思います。


この体験はあくまできっかけに過ぎず、根がひねくれているからだろうと自分でも思うのですが、それを「ひねくれ者」と呼ぶのにはあまりにもかわいくないので「あまのじゃく」ということにしています。まあ、「あまのじゃく」も決してかわいくはないですが、元は子鬼なのでこちらを採用。そして、本来あまのじゃくなんかじゃなく、素直に生きたいという願望もあるんですが、これも性格だから仕方ないと半ば開き直り、タイトルにしてみました。

というわけで、次回からもあまのじゃくな目線で思うことをあれこれ書いてみることにします。


最近観て、心にじんわり沁みた映画。アキ・カウリスマキ監督作品

写真は毎回記事の内容に一切関係なく、日々の暮らしの中で目に留まった1枚を掲載しますのであしからず

来客は金曜日,セハタサチ