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2012年7月27日金曜日

【来客は金曜日】あまのじゃくでいこう②


 賛成の反対なのだ


あまのじゃくというだけありまして、つい何でも逆のことに思いを馳せてしまいます。


特にネガティブな意味を持つ言葉や表現に関しては、その逆は何だろう?と気になります。
対義語(反対語)は相反するものでありながら、概して片方をなくしては片方は存在しない補完的なものでもあるので、ネガティブの裏には必ずポジティブがひっついてると思っているのです。
でも、言葉や表現としてはそうではないものもあるようです。


例えば「生理的に受けつけない」という表現。

反対の「生理的に受けつける」とはいいません。
でも、感情としては存在する。人だけではなく、モノやコトに対しても感じることがあると思うなぁ。具体的な理由はわからないし、欠点もあるし、すべてを知っているわけではないけれど、無条件で好きという感じ。


他には「反対運動」。

賛成運動というのは見たことも聞いたこともありません。
賛成の方が反対より、する方もされる方も前向きな気分になれそうなのに。引力より反発力の方がよりエネルギーがあるのかしら?たしかにファンよりアンチの方が勢いがありそうだ。

「反省」という言葉の対義語も辞書に載ってないのでないようです。反省会、反省点、反省文の逆もすぐに思いつきませんし、聞いたことありません。あえて対義語をあてはめるとすると、自身を省みないということだから傲慢とか邁進とかになるのかしら?邁進会はあってもいいかも。

「クレーム」の反対もあまり聞きません。いわゆる「お客様のご意見」はたいてい不平不満です。目安箱みたいなもの。
少々の失敗や間違いには大目にみて、よかったこと専用のお客様窓口があれば、話し手も聞き手も褒められた本人もきっといい気分になれるのに。


なーんていろいろと妄想していて、はたと気がつきました。あたりまえですが、世の中にはネガティブとポジティブ、どちらでもないこともあるんですよねぇ。むしろそういうことの方が多い。



バカボンのパパの口ぐせに「賛成の反対なのだ」というのがありました。

私が敬愛する心理学者、故・河合隼雄氏は生前「日本ウソツキクラブ」の会長で、まじめ になると「私はウソしかいいません」といわれていたそうです(養老孟司著 『読まない力』PHP新書)。

どちらも矛盾しているようですが、真意はというと、前者は賛成でも反対でもない、つまりどちらでもいい、後者は意味がない、つまり言葉なんてその程度のものですよということらしい。

もはや、禅の域?あまのじゃくもここまでくると奥が深いのであります。



なんとなく増えていく石けん。パッケージや香りも楽しみのひとつ。



※写真は毎回記事の内容に一切関係なく、日々の暮らしの中で目に留まった1枚を掲載しています。


来客は金曜日,セハタサチ