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2012年6月18日月曜日

【コラム欄】ダジャレにも決まりごとをつくろうという提案



カナーケンは怒っている


先日、とある関西ローカル局の朝の情報番組をボーっと観ていた。
やっていた企画は日本に住むおもしろい外国人を紹介するという企画。
この日紹介されていたのは恐らくポーランドかどっかの北欧の方
京都の平屋を改築して住み
茶道の先生を職業とするほどの日本通だとの触れ込みであった。
日本人よりも日本の文化に詳しく、柔和で、かつ礼儀の作法を重んじ生きるその姿勢
滑稽さは全く無く、日本に生きる者として
身の引き締まる思いをさせられるほど
素晴らしい人物であったことを記憶している。



その人が今最もハマっているもの。



それは「ダジャレ」



ということで、当然番組スタッフは
「ダジャレのひとつでも言ってもらおう」
とまぁ、そうなるわけである。
事実、日本好きの外国の方にダジャレ好きは多い(気がする。)


「これでダジャレを言ってください。」
スタッフから茶道の先生に手渡されたのは風鈴


「正直風鈴でダジャレを言うのは日本人でも難しいだろ、いや、コレほどの方なら、きっと素晴らしいダジャレを授けてくださるに違いない」



筆者がそう思いを巡らせる中
しばらく考えた後、茶道の先生はとてつもないドヤ顔で突拍子もなくこう言い放った。





「ふうりん雷神。」




















































「?????」




















































「何が茶道だ、何がWABISABIだよ、就労ビザ停止しちゃえ。


と、暴論ながら筆者はこう思ってしまった次第だ。


だって、




風神雷神の話なんて一切出て来なかったし。


絵とかグッズとか何にも家には飾って無かったし。



そりゃ、日本語が完璧ではない外国の方にそこまで迫るのはおかしな話だし
日本文化が好きで風鈴を手渡され、風神雷神とすぐ出てくることにさらなる
感心を覚えなくてはいけないことは百も承知なのだが・・・。


違う違う。



筆者が怒りを覚えたのは茶道の先生にではあらず。


言い放たれたダジャレそのもののルールの無さに対してなのであった。


そもそもなぜ怒りを覚えたのか


例えばこの茶道の先生が
風鈴でスタッフに殴りかかる真似をした後に
「風鈴ガン(フーリガン)」
とか言ったのならまだ納得できる。


行動が伴っているからだ。


もしくは
「いやー、わたしね、めっちゃくちゃビール好きやおまんねんけども、ど~も最近つまさきが痛ーて痛ぁて。どないしたんやしかし、思てましたんや。そんならもーしゃーないから病院行きましたんや、この前。ほんなら医者の先生、何て言うたぁ思います?『痛風』やって。控えなあかんなぁ風鈴体(プリン体)ちり~ん」
とかでもまだ納得できる(腹は立つけど)。


前フリが伴っているからだ。



カナーケンが怒りを覚えた理由はここにある。
茶道の先生は急にカメラ目線のドヤ顔で
ふうりん雷神と言い放った。



その一部始終には
前フリや行動、話の流れ等が一切無く



出てきたダジャレも
ただ単に母音の並びが風鈴と一緒の部分を持つ単語を強引にねじ曲げたただけのもの。


急にそんなものをドヤ顔で乱暴に放り込まれたら
いくら素晴らしい人間観を持った茶道の先生に対しても


「いやいや、筋が通ってねえじゃねえか。このやろう。」


とこうなってしまう訳である。
そう、問題は筋が通っているか否かなのである。


だから、ダジャレにもいくつかの決まりをつくろう


こういった悲劇を繰り返さない為にも
ユーモアの名の下に完全自由主義で無法地帯な節があるダジャレに対して
いくつかの決まりごとをつくる必要性があると考えた。


かと言って「ダジャレ法」なる条文や項を伴う分厚い書物をしたためるヒマは
無い上、ダジャレを気軽に楽しめなくなってしまうのは癪なので今は3つだけ。
また気づいたら増やしておきます。



  1. 前フリの無いダジャレは言わないこと
  2. 常に話の流れに沿ったダジャレを言うこと
  3. 前フリの無いダジャレを言いたくなった場合は、自分からそれなりのアクションを行うこと



この3つの決まりを、
もしも「ふうりん雷神」で守るとしたら



・風神雷神のポーズ(冒頭の画像参照のこと)を決めつつ「ふうりん雷神」と言う=前フリとしての行動が伴っている


・「あれれ、この風鈴、絵柄が無いじゃないですかー。やっぱり風鈴には絵が描いてないとね。後で私が書いときますよ。ふうりん雷神。」=前フリとして、話の流れをつくっている


「ふうりん雷神(ドヤ顔)・・・・・・・・・・・・・・・・・、ごめんなさい、何か変でしたね。」=前フリは伴っていないものの、行動(謝罪)が伴っている


こうすることでつじつまが合って、筋が通る。
聞かされた人も、いくらかスッと受け入れられるはずだ。


まとめ:ダジャレにも決まりは必要、だって立派な文化だから。

誰よりも日本の文化に詳しい外国人の茶道の先生が認めているのだから
ダジャレは日本の誇れる文化の一つといって差し支え無いだろう。
これからも多数の日本好き外国人が訪れ、ダジャレという文化に触れていく中
いくつかの決まりを守るだけで
「日本人はイラッとしなくなるよ」
ということをちゃんと伝えてあげることが、日本人としての重要な役割なのでは
無いだろうかと、そう思う次第である。
ダジャレで締めるんだろうなと思われた読者の方もいただろうが、思いつきません。ごめんなさい=行動(謝罪)が伴っている


「ダジャレ」でgoogle画像検索すると、これが最初に出てきます




提案の月曜日,カナザワケント